
ヒタスタイルの十三祝い。
ヒタスタイルの十三祝い。 お陰様で十二支を一巡しました 「ヒタスタイル」は今月号で満13年を迎えることが出来ました。創刊当初から支えて下さっているスポンサー並びに広告掲載くださった方々、そして・連載協力・取材・撮影協力・配布設置協力・情報提供・投稿・感想やご意見を下さった全ての方々と、他ならぬ読者の
ヒタスタイルの十三祝い。 お陰様で十二支を一巡しました 「ヒタスタイル」は今月号で満13年を迎えることが出来ました。創刊当初から支えて下さっているスポンサー並びに広告掲載くださった方々、そして・連載協力・取材・撮影協力・配布設置協力・情報提供・投稿・感想やご意見を下さった全ての方々と、他ならぬ読者の
想像してみてください。 自分の意志で行動が決められなかった、人生が自分のものではなかった時代。 尊い命が散っていった空と大地。今も変わらない空の下で、八十回目の終戦の日を迎えます。 世の中がどんなに便利になろうと私たちはナゼかそれでも、目先の事でせい一杯。だから?? 大事なことの選択も誤ってしまう。
安全なはずの「壁」の内側の世界を大きく揺るがす超大型巨人の登場で、最初の絶望を突きつけられた少年少女たち。ここから彼らは、人類は、どう生きるのか?…壮大な物語の始まりのシーンが、ダムの壁と三人のキャラクターたちの銅像によって再現された大山ダム。平日でも毎日何十人もの観光客が訪れるようになった。 漫画
未来の日田に恥じない生き方とは? 「賢者」とか「先哲」というと、少々堅苦しい表現で、自分との距離がとても遠く感じてしまう…そんな事ありませんか?もっともっと色んな人が「知り合いの立派なおいチャン」くらいの勢いでとらえ直した時、また違った先哲の姿が見えてくるのかもしれないし、それは意外と面白くてために
▼「河童聞合』(かっぱききあわせ)日田近隣の河童目撃体験者聞き取り内容をまとめた表。「河童の日本史(1996年)」より(体験者と現場の場所はヒタスタイルが地図を元に加筆、本には各現場を落とし込んだ現代版地図も掲載アリ) わに・へび・亀・すっぽん・カワウソ・猿…等々、イメージが混ざったり移行したり、
1933年ダンワラんじいチャンこと音吉さんが29歳のとき、裏山で偶然発掘した丸い錆の塊を、子供の教材になればと三芳小学校寄贈した。 ダンワラ古墳は単なる墳墓ではなく、鏡をはじめとする貴重な品々を保管するための秘密の空間、すなわち“宝物庫”であった可能性がある。 ダンワラんじいチャンこと渡辺音吉さんの
「コヒナ」=カワニナ 川や水路にいる細長い巻貝「カワニナ」の日田弁での呼び名。 筑後川を少し下ると「ゴヒナ」とも呼ばれているそうです。例によって「水郷」を「すいごう」ではなく、 濁りのイメージに繋がる「濁点」を抜いた「すいきょう」と呼ぶ…という日田ならではの理屈と同様なのか?? また、この日田市内河
成人の日を迎えられたみなさまへ 人の成長は、結び目をつくりながら登る 「らせん階段」。 一年後のあなたは、変わらないようでいて 必ず一段上がってる。 どんどん結び目を自分でつくって 経験を積み、進んでいこう。 こんがらがったり、時にほどけたり 切れたりしても、あきらめずに結び直す力や、 新たに結び始
※商用複写厳禁 ヒタスタイル作 日田版方言番付表2025 たぶん県北版 「大分方言」(改訂三版)昭和55年(※初版は昭和45年)発行者 高田一彦(津久見出身) 印刷者 日の丸印刷株式会社(大分県立図書館所蔵)を元にヒタスタイルが図案化 ほぼ県南版 「大分方言」(改訂三版)昭和55年(※初版は昭和45