ヒタスタイルが見た小鹿田 vol.4
本誌第二号(2012年10月号)で初めて小鹿田焼の里を特集記事にした時、折しも北部九州豪雨による大水害直後であり、前年の東日本大震災・原発事故の記憶も生々しい時期であった。タイトルは「小鹿田という名の原子力」。世界的にも珍しい、全行程がほぼ手作業で、必要な原料・材料もほぼ地産地消、循環のサイクルの中で成り立ち、電気がなくても作陶可能な現代の奇跡のようなこの里の営みは、大袈裟でも何でもなく、自然に対するリスクを厭(いと)わず楽ばかりしたがる今の私たちに、本来人間が持っているはずの「太古から繋がる原始の力」のようなものをこの先も決して忘れてはならないと教えてくれる。原発事故・自然災害の教訓同様に。
日田は遠い過去に3回、大きな火山噴火で火砕流に覆われた経験がある。その最後が9万年前の阿蘇山の大噴火で、火山灰が北海道に届いた程だった。そんな日田の更に限られた場所で、火砕流の影響と偶然の重なりのもと永い時を経て出来た山の土が、三百年も前から小鹿田焼の陶土として現在まで使われ続けてきた。自然が作り上げた貴重なその土を、水の力を借りて唐臼で突き砕き、2ヶ月もかけて陶土にし、いくつもの手作業の工程を家族で協業して、民陶小鹿田焼は誕生する。
太古より人間は「炎」をコントロールしてきたが、制御不能とは常に表裏一体。水もそう。光も「お天道さま次第」。どんなに文明が発達しようと、この星の上で人の暮らしは基本的には変わらないだろう。そこを意識させてくれる仕事、自然と向き合い、戦い、寄り添い協力しながら続く農林水産業に限りなく近いところで、人の暮らしを豊かにする器づくりを続けているのが「小鹿田」なのだと思う。
昭和初期に一大ムーブメントとなり「世界一の民陶」と賞賛された小鹿田焼は全国的に有名になった。ところで「民藝」の藝の字は当時「草木を栽培すること」を意味したそう。(「芸」は逆に草を刈るの意味)自然と共に陶器作りを続ける小鹿田にぴったりな漢字だと思いませんか?
民藝運動は、1926(大正15)年に柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司らによって提唱された生活文化運動です。当時の工芸界は華美な装飾を施した観賞用の作品が主流でした。
そんな中、柳たちは、名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具を「民藝(民衆的工芸)」と名付け、美術品に負けない美しさがあると唱え、美は生活の中にあると語りました。
そして、各地の風土から生まれ、生活に根ざした民藝には、用に則した「健全な美」が宿っていると、新しい「美の見方」や「美の価値観」を提示したのです。
工業化が進み、大量生産の製品が少しずつ生活に浸透してきた時代の流れも関係しています。
失われて行く日本各地の「手仕事」の文化を案じ、近代化=西洋化といった安易な流れに警鐘を鳴らしました。
物質的な豊かさだけでなく、より良い生活とは何かを民藝運動を通して追求したのです。
鑑賞するために
つくられたものではなく、
なんらかの実用性を
供えたものである。
特別な作家ではなく、
無名の職人によって
つくられた
ものである。
民衆の要求に
応えるために、
数多くつくられた
ものである。
誰もが買い
求められる程に
値段が安い
ものである。
くり返しの激しい
労働によって得られる
熟練した技術を
ともなうものである。
それぞれの地域の
暮らしに根ざした
独自の色や形など、
地方色が豊かである。
数を多くつくるため、
複数の人間による
共同作業が
必要である。
伝統という先人たちの
技や知識の
積み重ねによって
守られている。
個人の力というより、風土や
自然の恵み、そして
伝統の力など、目に見えない
大きな力によって
支えられているものである。
小鹿田焼は、筑前藩主・黒田長政が朝鮮の陶工を日本へ連れ帰ったことに端を発します。16世紀末、秀吉とともに朝鮮に出兵した時のことです。陶工の名は八山といい、直方の高取山に窯を開きました。その後、孫の八郎が小石原焼を開窯します。そして18世紀に入り、日田の代官が小石原焼の中野窯陶工・柳瀬三右衛門を小鹿田に招いて、技術を伝授してもらいました。資本金は鶴河内村柳瀬の黒木十兵衛が用意し、土地は鶴河内村小鹿田地区の当時センドウであった坂本家が提供。こうして小鹿田焼は産声をあげ、日常に使用する民陶として歩んでいきました。
※センドウ:地域の指導役のこと
櫛描き
打ち掛け
飛びかんな
現在、小鹿田焼の里には9軒の窯元があります。そのいずれもが小鹿田焼開基の祖といわれる柳瀬三右衛門、資金提供した黒木十兵衛、土地を提供した坂本家の系譜に属するといわれています。開基のいにしえより受け継いできた伝統の技は、親から子へ一子相伝で引き継がれてきました。
窯元たちは協同組合を結成し、技法を共に守りながら、陶土採取を共同で行うなど、集落一帯で支え合い伝統を次世代へと伝えています。
この秋、水害やコロナの影響で休止だった民陶祭が5年ぶりに開催される。この日賑わう里に行けば、どんなに全国・全世界の人々に小鹿田焼が愛されているかがよ〜くわかる。それを感じに行くのも一興。但し買い物は地元ならではの方法がお勧め。日頃から販売店のチェックをしたり、まずは平日の静かな小鹿田の里で唐臼の音を聞いて欲しい。里の入口もしくは上部の「小鹿田焼陶芸館」に車を停めて(右ページ図参照)ゆっくりと坂道を往復してみて下さい。言葉では伝わらないその魅力を、地元市民の心身で共有♪そして…物の「命」が止まらずに、あなたと一緒に歩いて行く。そんな品物を見つける方法は超簡単。直に見て、「一目惚れ♡」を信じるだけ!
最後に、里の女性達の言葉で〆たいと思います。☝︎「子育てに最高の場所。子どもの頃から土にふれ水にふれ火を知る。自然の中でいつまでも飽きずに遊んでる子どもを見守りながら仕事ができる。素晴らしい事!」「その家によって体制は違いますけど、どこもやっぱり一人抜けると歯車が違ってくると思う。」「自分のしてることが目に見えてわかるところがとても面白い。」「釜出しの時に、焼物がスゴイ綺麗に出てきた時は、かなり嬉しい。年々嬉しさが増しますね。」「覚える事はまだまだイッパイ有る。新しい事覚えるのは大変だけど、それって、し出すと楽しい。なので、それをまぁ、楽しみながらやっていきたい。」
10月12日(土)・13日(日)午前9時~午後5時
[問]日田市観光課観光企画係☎22-8210 小鹿田焼陶芸館☎29-2020
発行/月刊ヒタスタイル
〒877-1354 大分県日田市坂井町443-11
Tel.0973-22-7316
発行人/クマガエデザイン 熊谷健二
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