






▼「河童聞合』(かっぱききあわせ)日田近隣の河童目撃体験者聞き取り内容をまとめた表。「河童の日本史(1996年)」より(体験者と現場の場所はヒタスタイルが地図を元に加筆、本には各現場を落とし込んだ現代版地図も掲載アリ)


わに・へび・亀・すっぽん・カワウソ・猿…等々、イメージが混ざったり移行したり、様々な形で地域ならでは感を伴いながら時代と共に、全国各地に生きてきた「河童」。水利・灌漑の普及という「農」との密接な関係の中で、子ども達に水の危険性を教える役割も果たしてきた。
元は中国から渡ってきた架空の生物だけれど、頭の「皿」は完全に日本産なのだそう。背中の甲羅も、実は九州産河童には無くて、東日本産なのだそうだ。現代の河童キャラのイメージは、50年程前から始まった、日本酒の全国版テレビCMの影響が大きかったかもしれない。
逆にローカルから中央へという流れも先にあった。「河童聞合」(かっぱききあわせ)という江戸時代の本は、淡窓さんの父「桃秋」と「森春樹」(隈町)が作った。この日田の本を研究した唯一の学者、小泉 丹(まこと・明治昭和の動物学者)は、「両人(桃秋と春樹)の注意深さと、仕事の誠実さに敬服する」との言葉を残している。江戸期直近の数々の河童研究本に大きな影響を与えたようだ。具体的なエピソードが記録された「河童体験聞き取り調査公式まとめ本」で、例えば(日田祗園見物に久留米からた)河童集団とトラブった話とか、用があるから勘弁してと言うのに次々何十匹もの河童と相撲をとらされヨレヨレで家に帰りつき三日三晩眠りこけた話とか…諸々実に興味深い。
この本には載っていないけれど、山の神が春に下りてきて田の神になり冬にまた山へいくという去来信仰と河童の親和性が納得できるような田畑の景色が今も残る有田で、480年もの歴史があるといわれている祭、西有田・三ノ宮地区「大行事神社河童踊り」が今も続く。地元の子ども達と大人が身体をフル活用して、生を謳歌する河童の姿を見物人の目の前に再現してくれる必見の祭り。 生き生きと「踊る河童」は他にも!誌面上部にある宇治山哲平さんがよく描いていた河童たちだ。地域の方に大切にしてもらっている様子。三隈川に鵜のウータンと一緒にドンと立つ河童の「水の助」以外にも、よ〜く探せば結構いる!!川で網を使い時々潜りながら漁をするおっチャンの姿は、獲物を探す河童に見えたりもする…。
おかっぱ、かっぱ巻、雨合羽、屁のかっぱ、河童の川流れ、陸(おか)に上がった河童…私たちの言葉の中にも意外と生きてる河童。今、若い人が「うれしみ」という言葉を新しく生み出し、一部では定着してきているようだ。いっそ河童で新しい言葉を創るのはどうだろう。「かっぱみがあるぅ〜♡」とか「かっぱみを取り戻そう!」とか。
さてその「かっぱみ」の意味は??……さあ今年もゆるっと花火どま見ながら、それを一緒ン考えちみらんかい?