日田の創世神話②「ホークス・キングダム」から読み解く
日田は邪馬台国・卑弥呼・台与の祭祀場
だった?それが日田の未来です。
十月号から、妄想的なコラムになっていますが、二十五年間、日田古代史研究会、伊藤塾、全国邪馬台国連絡協議会で学んできた集大成なのでお許しください。
ヤマト王権の奈良、京都は盆地的な場所で大河の上流部に位置し、地理風水にふさわしい場所を選んでいますよね。その場所を九州に例えると、日田の重要性が見えてきます。豊臣も徳川も日田を直轄地にした理由は、北部九州全体に睨みをきかすことができる地勢的意味があり、日田の古代は「八衢」(高木彬光氏)と呼ばれていたように、交通の要所なのです。八方に延びる場所の意味です。そして日田は風水的に、四神の地にぴったりで、神社は九州各地の祭神がこの日田で融合しています。卑弥呼の鏡と言われる金銀錯嵌珠龍文鉄鏡の存在、小迫辻原遺跡、久津媛、五馬媛など、日田の古代って本当に凄いと思います。
ここ半年、大分県下の若い古代史の友人が大分の各地に現れて、多くのヒント頂きました。そのおかげで、豊国(豊前も含む)の意味がみえてきたのです。また元添田町役場の英彦山研究第一人者の岩本教之氏が私との会話のなかで「英彦山の拠点は日田であり」、「豊前は玉依姫(神武天皇の母)です」という言葉で確信しました。これこそが「ホークスキングダム」です。日田は日鷹であり、筑豊の田川は鷹羽で英彦山と阿蘇の鷹神の意味です。
私は「豊という鷹」の地に住んでいる事を誇りに思います。豊・鷹の意義は「女神」・「共立・共生(神仏習合)」・「御饌(食)」です。意外と豊国(豊前・豊後)の中心的位置にある日田と山国川(古代は、みけ川と呼ばれた)流域の中心に一時期的に王権があったのだと思います。地政学的に宇佐中津、筑紫平野、有明、玄海の奥の院が日田なのです。
日田の未来も、中津からの高速が開通し、阿蘇、筑豊への高規格道路ができたら九州府(県境は不必要)の首都もありえるかもですね。それが邪馬台国時代の再来だと思います。しかし大都市になって欲しいとは全く思いません。地球自然と共生し、歴史文化伝統を守る循環型社会の小さな理想田舎都市です。始めて会った方から「日田の古代史を後世につなげることを、やらなければならぬ」と相談され七名で立ち上げ始めました(当分組織にはしない)。目的は「日田の神社、遺跡、昔話が好きだから、未来につなぐ」それが、七名の共通認識だと思います。文化とは「学び伝える」ことです、その意義を心に抱いて。