ちょうど8年前、僕は大鶴地区で地域おこし協力隊の活動をしていて、九州北部豪雨を経験しました。
息ができないほどに降り続く雨と鳴り止まない雷の音。人生で初めて身の危険を感じて、必死の思いで高台にある避難所に逃げ込み一晩を過ごしました。
翌朝、濁流に飲まれた町の景色は一変していました。
“僕に何かできることはあるのだろうか…”
無力感の中、ただ時間が過ぎていくのを眺めていると、少し離れた公民館で赤ちゃんとその家族が孤立しているとの連絡が避難所に入りました。幸い避難所には備蓄用の食料とミルク缶があったので、私と地域の方2人でリュックいっぱいに詰め込んで運ぶことになりました。
普段であれば歩いて10分もかからないような道のりなのですが、土砂崩れなどの影響でなかなか思うように進みません。回り道などをしながら進む道中、地域の方々が汗を流しながら、被災をした仲間たちのお手伝いをしている姿が次々と目に入りました。
たどり着いた公民館で、ご家族が声を震わせて感謝を伝えてくれた時、胸がじんと熱くなりました。
あの日の恐怖は今でも忘れられないけれど、あの災害の後に見た地域の方々の美しい助け合いの姿も忘れられません。
今月からコラムを担当させていただくヤハケンこと矢羽田健太です。
毎年この時期はあの日に想いを馳せています。
【オヤ侍コラム】 矢羽田 健太 ただ、できることを探して。