先日、大山村長だった矢幡治美さんを密着取材し、1986年に放送した映像と現在の大山町や人にインタビューしたテレビ番組*を見ました。「梅栗植えてハワイに行こう」とか「NPC運動(New Plum and Chestnut)」という単語を知ってはいたものの、最初の詳しい流れは知らなかった事、どういう志を持ってこの運動が広がったのかということも曖昧だったため大変勉強になりました。 戦後大分県の農業生産量が低かった大山村、理由は平地が少なく傾斜地が多いためです。矢幡治美さんはこの土地に何が合うのだろうかと調べて、農家の方にもヒアリングを行い、紆余曲折を経て、梅と栗で一定の成果が出たということです。この運動は、「一村一品運動」に繋がり、アジア・アフリカまでもが参考にしたそうです。
住民の所得追求、豊かな人づくり、住みよい環境づくりを軸に楽しく大山で暮らせるようにとの願いと夢が詰まった運動であると理解しました。今を生きる私たちが歴史を振り返り、よいところを学び続けることで、日田が抱える課題の答えの糸口を見つけることにもなると思いました。 *NHKときあるき大分 大山