



2015年8月号
「70年前の日田ん空の下」
日田に在った地下兵器工場
「今が昔に似てきた…。戦争に大義はない。もうホント。勝者も無いね。世界を見渡しても、どこも勝者はいない。ただ犠牲を双方に出しただけ!ですよ。 だからもう、武力じゃぜっったい!に解決はつきませんね」
日田には小倉工廠という兵器工場が在った。
その影響か中尾町には「高射砲」という大砲が設置されていた。
近所の子どもらは、何故かいつも無人で管理も警備もされていない空っぽの大砲の周りでよく遊んでいた。
実際に打ったところを見た人もいたが、狙った飛行機の随分下の方で破裂していたのだそうだ。

▲35才で出征した五島国光さんのお父さん。写真で抱っこされている五島さんが6才のときに、フィリピンで戦死した。

▲平成15年の河川改修工事の際に、この滝つぼの中から高射砲の 砲身の一部が発見された。本体はおそらく今もここに沈んでいる。
日田には終戦間際に(秘密の?)兵器工場の為の地下壕が70箇所以上も造られていた。全容は解明されておらず、2012年の大水害の際には跡地が大きく陥没する事故も起こる。この記事掲載年の春にやっと埋め戻し作業が終わったばかりだった。左写真の近辺で、若い穂を湛えた麦畑がほぼ強制的に潰され兵器工場になったという話と、父の戦死通知が二度も届いた為に現実味がなく、いつまでも帰って来る気がしていたという話も印象的。減少する体験者の言葉をいかに重く受けとめられるかが未来への鍵。
2016年8月号
日田ん盆!盆は料理とご先祖さまと
1945年8月6日(月)午前8時15分の広島に、同8月9日(木)午前11時02分の長崎に、祈りをささげ、そして今年も「お盆」がやって来る。墓参り・盆踊り・盆綱引き・家族の帰省…。多くの人々が賑やかに、一斉に亡くなった方々や顔も知らぬご先祖様達に感謝の扉を開き道を繋げる瞬間。今年の盆はナン食べる?。

2019年8月号 日田雑記2019&
「70年前の日田ん空の下」
再掲反響が大きかった記事を再掲載
終戦70年を機に掲載した本誌初の戦争と平和の特集の反響は大きかった。四年ぶりにその記事を再掲載。日田の郷土のうたと夏の風物詩と共に紹介した。
2020年8月号
「75年前の同じ空の下」
「満州」っち、何やったン?
満蒙開拓団 まんもうかいたくだん
中国北東部に日本の傀儡(かいらい)国家「満洲」があったとき、地元大鶴からも、55家族220名が農業移民団として入植。終戦までの5年間を経て、敗戦大混乱の中、奇跡的に残留者なしの176名(現地で生き残った方々全員)の帰郷を成し遂げた。
「自分が両側の立場に立って想像出来るかどうか」「誰も悪く無いのに、弱者から先に犠牲になる」「入り込んだら自分では抜けられなくなってしまう」それが戦争の世界。突入ずっと手前で気づかねば間に合わないという事を、もっと意識する必要のある時代に私達は生きている。満洲の関東軍の暴走(満州事変は、日本側の自作自演による鉄道爆破を発端に、敵にやられたとの口実で軍事行動を進め各地を制圧していったという信じられない出来事)を、戦争に前向きでなかった当時の政府の考えを「軟弱だ」と批判する意見に賛同した多くの国民が、世論という形で支えてしまった。それを決して繰り返すまい。
2022年8月号
「77年前の同じ空の下」
地下兵器工場の情報追加・「明るい人類の未来」とは?
「小さいときは遺児だって先生たちに言われるもんだから、自分は被害者って思ってたのが、だんだん物事がわかってくると、父が加害した張本人でもあったんじゃないかっていう痛みをもつようになり、いよいよ反戦平和をやらなきゃいけないっていう思いがありました。」
「命の尊さを教育で伝えられる教師になる!」戦争の不条理を実際に体験して得られたこの強い気持ちを、人生に投入した元教師の方のお話。貴重な当時の遺品の数々も紹介していただきました。加害当事者としての目線で戦争に向き合う貴重な証言。自虐史観だと排除し反省を無視したその先に待っているものは、性懲りも無く殺し合いを繰り返す人類の暗い未来なのでは。



2023年8月号
「78年前の同じ空の下」
日田に別れを告げにきた零戦、終戦前日の出来事。
「爆音のする北の上空を見れば、木枝の間からキラキラ銀色に光るB-29の一波が通過中で、日田の町と三隈川を左に見下ろし、西の山で機が隠れて間もなく、爆弾の破裂する音がドドドドドーーっと地軸を揺るがす。太刀洗がやられよる。空襲は次々と六波まで続く。この魔の二十五分間に失われた人命は、五百人とも八百人とも云われている。」
44才の父親に赤紙(召集令状)が届き三日後に出征していった話や、太刀洗と久留米の大空襲の話も掲載。亀山公園入口向いの「島内資料館」に記念碑が残されている一機の戦闘機のお話も。太刀洗飛行場から、出撃前日に郷里に別れを告げに飛来しキャンディの入った筒を投下。名残り惜しむように翼を右に左に振りながら西へ去る姿の目撃証言も、玉川町老人クラブによる本の中から抜粋。
2024年8月号
「79年前の同じ空の下」
令和の今、考えてみた「戦争」のこと…
我まちの様々な世代の言葉です。
「質問。今後日本が戦争に参加あるいは巻き込まれる可能性は、あると思いますか?また、それを避ける為にすべきこと・すべきでないことは何だと思いますか?」
すべきこと→非核三原則を遵守すること。
すべきでないこと→自衛隊の派遣。
可能性はあると思う。
選挙にいく。情報は自分で調べる
可能性は0ではないが、避ける努力はできると思います。自分の身近ではない人を知って理解し、できれば仲良くなる
子どもを戦争に行かせたくない
核など絶対使わない!
残念ながら可能性は0ではないと思う。「自分たちはまぁ大丈夫だろう」という考えにならないこと。
ないと思います!
情報にまどわされないこと!
巻き込まれる可能性は大いにあると思います。様々な情報に惑わされないこと
巻き込まれる事は有ると思う。
自分自身で考え感じて判断
語り継がれかたが昔と比べると全然違う。戦争の怖さが伝わってないと思う。テレビも特集とか減ってるから。
もちろんあると思います。
自分の身近な人から世界へ友達の和を広げて行くこと。
戦争をしないという、人類の進化を願う。
来年の12月に「戦争の世紀」といわれる「昭和」から数えて丁度百年を迎えるにあたり、令和の今、こんな質問を市民に投げかけてみました。戦争に参加あるいは巻き込まれる可能性について、「あると思う」「無いと思う」相反する意見の両者が、共通して「情報に惑わされないこと」を強調しているのがとても印象的でした。

◉ヒタスタイルでは引き続き戦争と平和に関する情報やご意見などを随時募集しています。