私は、一人柴又駅に降り立った。駅前の寅さんの銅像に胸を躍らせ、帝釈天に参拝し、寅さん記念館へと向かう。目的地をひとつに絞るというのはとても贅沢な気がしたが、一日、ゆっくりと寅さんを味わった。館内には鈍行列車の向かい合わせ客車が再現してあって、車窓のモニターには、映画の名場面が映し出され、夜明駅が出てくるシーンをしばらく座って何度も見た。
『よあけ』
ユリー・シュルヴィッツ 作・画
瀬田貞二 訳 福音館書店
夜中から薄明、そして朝へ……。刻々と変わっていく夜明けのうつろいゆく風景を、やわらかな色調で描きだし、静かな高揚感をもたらしてくれる1冊です。
便利な世の中でスマホがあれば道案内も、わからないことも検索すればすぐ調べられるが、いつも時短や効率ばかりで、気づけば心は、先へ先へとせわしなく動いてしまう。夜明けの空のように、ゆっくり変わる自分の感情に、気づけていただろうか。
スマホをちょっと手放して、列車を乗り間違えたり、遠回りもしたけれど、それさえも楽しく思えた。
帰りの駅のホームには、寅さんの映画の台詞があった。
「ああ、生まれてきてよかったなって思うことが、何べんかあるじゃない、ね。
そのために人間、生きてんじゃないのか」
『男はつらいよ 第39作 寅次郎物語』
大人の夏休みは、寅さんに少し立ち止まる時間をもらったような気がした。