
映画には、楽しいエンターテインメント作品もあれば、「観てもらわないといけない」と思わせる作品もある。それは、まだ誰も知らない世界。報道では取り上げられない事実。そして、その中には確かに誰かがいて、何かを感じながら日々生きている。そう、ぼくらの暮らしと同じ。たとえ何かに取り上げられなくても、今日も確かにココに日常がある。ヒタスタイルがあるのだ。この冊子も、読者が他者への興味がなくなれば存在する意味がなくなるように、映画も、そもそも誰かに関心がなければ存在しなくなってしまうもの。そう思うと、きっと社会も同じだと思えてくる。特に現代は、自分の欲望を駆り立てる情報に溢れた社会だからこそ、惑わされず、他者や日常に関心を持って(大切に想って)生きていたいと強く思えてくる。
「愛」とは?という問いの答えは、無数に存在するけれど、対義語は一体なんだろう。国語辞典には「憎」と記してあるが、愛ゆえに憎むことだってある。「愛=大切に想う」ことだと思うと「大切に想う」の反対は「無関心」だと気付き始める。マザー・テレサの言う通りだ。相手から無関心に扱われることは、どうでもいい存在として扱われること。そんな風に扱われたら、人はどんな気持ちになるだろう。そして自分も、理由をつけて誰かに対してそうやってはいないだろうか。そうやって想像すること自体が何より大切なことなのではないか。だからこそ、他者に関心を持つきっかけとして、映画や芸術が存在するのだと思うのです。
奄美の大いなる自然を、自らの身体を通して表現するミロコマチコさんの作品も実に素晴らしかった(展覧会に来ていただいたみなさまありがとうございました)し、今月は、ガザでの爆撃や飢餓に苦しみながらも力強く生きる人々の姿を映した女性フォト・ジャーナリストにフォーカスした〝観てもらわないといけない〟作品『手に魂を込め、歩いてみれば』も上映する。日本でも上映せねば!と配給した代表とのトークも開催予定だ。もうこの世にはいない彼女のことや、ガザや戦争のことも、日田から想い馳せる時間にできれば嬉しい。そして戦争にならないようにせねば、こどもたちに見せる顔がない。

