パワースポット日田・邪馬台国 卑弥呼は日田に居住していた?
邪馬台国は奈良で決まりだと考古学者のほとんどは考えていますが、私は九州説です。卑弥呼は共立されたと『魏志』倭人伝には記述されていて、日田の不思議さは九州の神社がここ日田に集結し、卑弥呼の死後すぐにヤマト(畿内)の土器さえ、持ち込まれています。江戸の再現みたいに。そして地理風水にしても、京都以上の最高の場所。私が祭祀王だったら、日田に拠点を置きたい。そして有明海、玄海、周防灘、豊後水道を監視するなら、ここ日田が最適地だし、筑後川、山国川(みけ)、遠賀川など利用したら、一気に海へいける。こんな場所は日田市しかないです。奈良や京都もそうですが戦いの時代は海岸線には都は置かないです。
少し時代背景を語ります。卑弥呼の前には倭国大乱という戦いの時代が続き、卑弥呼を共立したことにより、和平が持ち込まれた。そして卑弥呼の以後に、ヤマトと九州との祭祀融合がここ日田で行われたと私は思っています。九州はヤマトの兄貴的そんざいで、六世紀まで兄弟喧嘩が続いたようです。七世紀以後は、ヤマト中心国家の形成が始まります。明治大の石川日出志教授は、「最古の銅鐸の構成要素は北部九州にほぼ出そろっており、それが近畿に波及し飛躍的に発展したのでは」という。前方後円墳祭祀にも九州の鏡と剣が入っているし、古代日本の動きは九州からヤマトへ移動していると私は思います。
紹介をさせてください。四月二十六日に朝倉市のフレアス甘木で午後一時より、全国邪馬台国連絡協議会九州支部主催の「邪馬台国サミット」が開催されます。内容は「九州における卑弥呼説論争」で朝倉説と田川説と日田説の激論が行われます。井上支部長(五馬在住)、は朝倉説、福永副会長は田川説、私佐々木副会長は日田説を力説します。もしも?、いや、必ず日田に卑弥呼がいたら、日本の歴史が根底から覆ります。大きなロマンと郷土愛を語り、九州をもっと輝かせたいと思います。卑弥呼の場所は永遠のロマン。だから楽しむことが一番なのです。