日田のパワースポット「元宮神社と玉来神社の五馬媛」
『豊後国風土記』に登場する五馬媛のお墓が、天瀬町五馬にある事をご存じでしょうか。「日田未来塾」で探索に行きましたのでご紹介します。
いつま小学校の真横に、元宮神社があり、鳥居を通リ過ぎるとすぐ左手に五馬媛の墓と書かれた石碑があり、神社の土地が古墳形状になっています。また、玉来神社は、景行天皇(元宮神社も景行天皇を祀っている)と五馬媛が合祀されています。ちなみに、『豊後国風土記』に記述される久津媛(ひさつひめ)は、日田の地名の起こりとも言われていますが、五馬媛は、五馬の地名の起こりに関係しているようです。この近くに宇土遺跡がありますが、この地域は旧石器時代から縄文時代の遺跡が多く存在し、宇土遺跡(道路の真下にあり5世紀くらい)の1号石室は40才前後の女性と30才代の男性。2号石室は40才代の女性→30代の男性→20才前後の女性の順に埋葬され、血縁関係のようです。女性が古墳に埋葬されていることから、五馬媛という説も存在しますが、私見は、もっと古く、縄文の母系社会の印象が強いので、弥生時代のように思えます。また、近くに金凝神社と阿蘇神社があり、この神社の神紋は「鷹神」です。熊本阿蘇の阿蘇神社や草部吉見神社、国造神社(阿蘇神社の元)が鷹の神紋があり、小国町の両神社(高橋神)や鉾納社(吉見)も阿蘇の影響を大きく受けています。この流れを想像してみると五馬地域は阿蘇~小国~の影響を受けた場所なのです。日田の古代は「日鷹」と呼ばれ、小野入り口の「戸山神社」も英彦山も鷹の神紋です。そういう流れを想像して五馬媛は久津媛の祖先だと感じるのです。五馬媛は役職であり、邪馬台国以前から火山・鳥・太陽・水神信仰を引き継いできたと思います。大分県は女神が多い、その中でも、『日本書紀』の豊玉姫と玉依姫(神武天皇の母)の姉妹に似た関係がこの日田に女神として残っています。この鷹神は八咫烏と私は思います。
ちなみに日田高校の校章も三本足の一対(二羽)の八咫烏的なものですよね。関係があるのでしょうか。日田が古代、日鷹と呼ばれた意味は、鳥信仰と女神信仰に行き着きそうなのです。