田中美保
日田出身張子作家。福岡のデザイン専門学校卒業後、デザイナーとして働き日田に帰省。デザインや絵の仕事をしていた時に旅先の宮島で宮島張子に出会って衝撃が走る。以前から作品作りをしていた木版画の材料と張子の材料がほぼ同じであることから、すぐに張子作りを始める。現在イベントなどでは売り切れ必須。
日田の過激派担当。
NANDE (南出直之)
神奈川県茅ヶ崎市出身。グラフィックデザイナーとして働く傍ら、ちょっとした落書きがきっかけで、一筆で表現する一筆画家へ。2020年、渋谷のadidas MIYASHITA PARKのエントランスに暖簾型のアートワークを作成。その他多くのデザインやアート制作で活動。2021年に東京からコロナ禍と子供の誕生をきに日田へ移住。今月号の表紙モデル。
日田のシュルレアリスム担当。
後藤浩介
日田出身。80年代のニューヨークのアーティスト、ジャン=ミシェル・バスキアに憧れ高校を卒業後渡米。独学で絵を描き、グループ展やライブペイントなどにも参加。5年滞在後2011年に帰国し実家の塗装業を継ぎ、現在もアーティスト活動をつづける。(株)総合美建代表、2025年度第72代日田青年会議所理事長。
日田のロマン派担当。
後藤浩介「僕がアートに興味を持ったきっかけは高校時代に出会ったヒップホップや黒人文化などからでした。『DOWNTOWN 81』という映画でバスキアを知り、彼のアート表現に憧れました。高校卒業後、一年間実家の塗装屋で働いたのちにニューヨークに5年間行きました。学校とバイトの傍らに絵を描いてたんですが、バイト先の飲食店が2号店を出す時に看板を描かせてもらったのが、初めての絵のお仕事でした。その2号店のあるビルが、まさにバスキアが亡くなったビルで…運命を感じました。少しづつ仲間ができて一緒にアート活動をするようになるんですが、父親が病気になり、あまり時間がない…ということもあり帰国しました。父は僕の一番の理解者だったので。家業を継ぎ、最初は仕事で精一杯の時期もあったのですが、徐々にまた絵を描きだし、今ではイベントでライブペイントをしたり、塗装業とは別に店舗などの壁に絵を描かせてもらったり、絵の依頼をいただいたりしています。」
NANDE「僕はグラフィックデザインの仕事や一筆画家として作品を発表したり、依頼を受けて制作したりしています。神奈川の茅ヶ崎出身なんですが、子どもの頃にマンホールに描かれている市章がカタカナの『チ』でデザインされているのを知って感動し、今に至るって感じです(笑)。学生時代に雑誌で見たグラフィティアートに文字でこんなに遊べるんだ!って衝撃を受け、地元のトンネルに友人とグラフィティを描いて、すぐに通報されました(笑)。グラフィックデザインの専門学校を出て、CMの絵コンテの仕事などをしていた時になんとなくスケッチブックに描いた落書きが今の一筆描きの始まりです。2010年に初めて個展を開催し、以降作家活動を続けています。そして2021年に奥さんの実家である日田に移住しました。日田の暑さはなんだか重たいね(笑)。」
田中美保「今、張子作家をしています。子どもの頃は友人とたまごっちの4コマを毎日描いて交換したり、絵を描くのが好きでした。ただ運動も好きで、ボート部の推薦で高校に入ったにもかかわらず、美術部に入るっていう我を通しました(笑)。福岡のデザイン専門学校に行きましたが、画材のためにバイトに明け暮れる日々でした。路上で絵を売ったり、当時流行った携帯電話のデコメール素材を毎月30個つくって納品したり、お金のためにデザインや絵を描いたり…でもどうしても自分の描きたいものを描く活動がしたくて、日々葛藤していました。日田に帰ってきて『日田いち』で似顔絵を描かせてもらったり、大きなベニアに絵を描いたりもしてた時期もありました。結婚後、木版画をやったり、武蔵野美術大学の通信に通ったりもしました。いつも模索していたんです。」
後藤浩介「絵も描いてたんだ!どんな絵を描いてたのか見てみたいな。」
田中美保「えっと…全部捨てました(笑)。もう絵を描くのが怖くて、もういっそのこと全部捨てようとした時、学生時代から使ってた筆を見つけて泣きました。」
NANDE「なんか過激だねぇ。僕は逆に全然物を捨てられない。というより、興味深い物が多すぎるし、色々拾ってきちゃうんです。日田は大雨のあと川に面白い流木があったりするからよく見に行くし、そういった『物』をつかった作品づくりもしてます。」
田中美保「以前リベルテでNANDEさんの作品を見た時に、とっても興味深くてどんな人が作ってるんだろうと思ってたんですが、今日は話が聞けて嬉しいです。先日この2人がペイントしてるところにも立ち会えたんですけど、短時間であんなものが完成するなんてすごい!」
NANDE「ありがとう!まぁとにかく楽しんでます。一筆書きの場合は、自分なりにルールを設けていて、線を交差させない。最後までペンは離さない。不自由はあるけど、それゆえに自分でもやってみないとわからないこともある。文字をデザインして描く時はある程度頭で構成するけど、その時に雰囲気や感覚に身を任せて楽しんで描いています。毎回自分の描いたものに驚いてる感じです。」
後藤浩介「僕もそうかな。ライブペイントの時は何も考えずにキャンバスの前に立って、現場の空気感やフローを大切にしてる。感じたものを自分の脳を通してキャンバスにアウトプットしてる感覚。」
田中美保「私はいろんなことを経て、張子に辿り着きました。今まで誰かのために作ることが多かったけど、今はいつもワクワクしながら制作しています。なんだか子どもの頃に戻った感じなんです。」
NANDE「それ、いいね!だから美保ちゃんの張子ってポケモンみたいで可愛いんだ! 世の中には余白があるはずなのに、みんなそれに気づいてないような気がするんです。だから僕はその余白の使い方を自分のアートで提示してるんだと思います。それが音楽だったりする人もいるんだと思うけど…僕はとにかく楽しく制作しながら、日田での暮らしも楽しみたい。あとは台湾でも展示をしたいです。」後藤浩介「現代のアートで言えば、環境問題だったり、その土地の問題だったり、いろんな問題解決をするためのきっかけづくりに発表されるものもあると思う。」
田中美保「発表って言い方すると、わたしは自分の思ったことと全然違う捉え方をしてもらったとしても、それがその人の気づきになるというか、何かしらの影響を与えられれば嬉しいです。」
後藤浩介「そう、アートには力がある!だからこそ今年、日田青年会議所の理事長になって、一番やりたかったことが、アートを使って日田に新しいムーブメントを起こすこと。そのためにJCの仲間に掛け合い、日田にいる面白い人たちに声をかけ、立ち上げたのが『日田ブループリント会議』です。僕らが思い描く日田藝術祭という青写真についていろんな人にアイデアや意見を聞かせてもらう会議を年明けから開催してきました。そしてまず今年は10月11日から11月9日の約1ヶ月間、第0回の日田藝術祭『日田隠-hitakakushi-』を豆田町を中心に市内各所で開催します。『日田隠』はまさに隠された日田のロマンを公にする!そんな思いで決めました。NANDEさんにも美保さんにも参加してもらいます。日田のアーティストに加えて全国で活躍するアーティストさんをお呼びして展示やワークショップ等も行います。いつか近い未来、若い人たちが日田にはアートがあるよね、と言ってくれるように。笑われるかもしれないけど、自分自身も世界的に活躍できるアーティストを目指し、日田のために日田に隠されたロマンを信じて、日田で僕らができることに力を注いでいきたいです。」
Vol.86 UNDER THE SAME SKY
Photo by Cotaro Ishii
Text by Yu Anai