○ 日田市東有田 ○菱川設備・菱川石材店 ○父・菱川幸司郎 ○61歳 ○息子・菱川貴博 ○34歳
菱川幸司郎「菱川石材は私で2代目、息子で3代目になります。私の父の叔父も石材屋で父は叔父に弟子入りし、主には彫刻を好み、彫刻をしながらも石積みや墓石づくりをしていました。機械のない全てが手彫りの時代でしたから、当時は彫刻をしてる人も多かったと思います。そして何人かで集まって羽田町の上の方に加工場を設けて石切りを行っていました。日田では小野地区に小野石、五和地区に五和石というのがあってそれらを総称で日田石と呼んでいます。豆田町の石畳も貼石といって日田石です。昔はそうやって地域で採れる石を使って加工していましたが、平成になると御影石というのが多く使われるようになります。四国にも御影石はあるのですが日本の石は高いので、最初は韓国、その後中国からの輸入が主流になってきています。ただ御影石は固くて加工が難しいので、彫刻などをするには日本の石が向いていたと思います。あと家を建てる時の基礎も今はコンクリートですが、昔は石で、家を崩した時に出てくる石を使って庭の飛石にしたり。うちの父も家の基礎を作ったりもしていました。石を切出し、今はあまり聞きなれないかもしれませんけど、石垣や建物の基礎を作ったり石を扱う職人を石工(いしく)と呼んでいました。それだけ石屋の仕事も幅広かったのだと思います。」
菱川貴博「神社の灯籠や狛犬などもよく見るととても面白いですよ。時代によってデザインも違うし、表情も面白い。僕は羽野天満宮の階段上の狛犬がいいなーと思っています。でも日田の石屋さんの現役の方で狛犬作ったことある人ってどのくらいいるんだろう…。新しいものはもう殆ど中国から来たものだろうし、もうあまりいないと思いますけど。熊本地震の時には修復の依頼もあって、折れた灯籠の一部分をコンクリートで成形したこともあります。灯籠といえば日田にも専門的に灯籠づくりをされてる方もいらっしゃいます。」
幸司郎「私らの時代はお墓づくりが多いですね。それも今では仕上げまで中国でして文字入れデザインを彫ったりするのを日本でやることが多いですね。父の時代のお墓だと、よく見れば『これは親父の作った墓だな』とかわかるんです。デザインや文字に個性があったしワンポイント入れてたりしてたので。あとは親父の代からうちは納骨部分の上の台は厚めの一枚石でつくることが多いです。それがうちのこだわりでもあります。」
貴博「やっぱり時代ですかね、今はちょっとした石のプレートに文字を入れる仕事が多いです。彫った文字に筆で色を入れたりするのって、母ちゃんやうちの妹とかの方がうまいんですよね(笑)。じいちゃんが彫った文字にはばあちゃんが色入れしてましたね。女性の方がやっぱり器用なのかなぁ。」
幸司郎「これからの問題は職人としての後継者不足はもちろんだけど、墓を守っていく人たちが少なくなってるでしょう。お墓があるから田舎に帰って来るって人もいるとは思うんですけどね、それがなくなれば帰る理由もなくなってしまうんじゃないかと寂しくなりますね。」
貴博「都会の方ではお墓にQRコードを彫ってそれを読み込むと亡くなった方の写真などが見れるようになってたりします。もう大きな墓石ではなくて石のプレートだけでもいいんじゃないかとも思うんです。納骨堂マンションができてるくらいなので、いつか石のお墓も無くなってくるんだろうけど、無くなってしまえばきっといつかまた寂しくなって、形あるお墓が見直される時がくるんじゃないかなとも思うんですけどね。」
幸司郎「日本にはその土地に神様がいて祀っていました。小さな祠でもいいので、作ってお参りしたり、敬う心は大切にしてもらいたいなと思います。まぁ自分はどんな墓に入れてもらえるかわかりませんけど(笑)。」
貴博「親父はQRコードかな(笑)。あと、うちにはじーちゃんの彫りかけのお地蔵さんがあって、ほんとに死ぬまで彫ってたんです。僕もいつか一生をかけて地蔵を彫ってみたいと思っています。でも今はそんな時間も余裕もないので、僕が地蔵を彫り出したら宝くじでも当たったと思ってください(笑)。」
幸司郎「そしたらみんなその地蔵を欲しがるやろ。宝くじが当たる地蔵とか言って(笑)。」
貴博「また忙しくなって、中国に大量生産してもらわなですね(笑)。とにかく技術は残していきたいですよね。神社や豆田の町なんかは石工の技術が詰まっていると思います。その土地の歴史を感じながら、先輩方の技術にも意識して目を向けてもらいたいと思います。」
Vol.87 UNDER THE SAME SKY
Photo by Cotaro Ishii
Text by Yu Anai


