

初めましての人とお見合いをして結婚をする。そんな時代だったと僕は奥さまから聞いたことがある。
「今の人たちは自由に恋愛をして結婚できるからいいわよねぇ〜。」
20代の頃、僕は80代のご夫婦の家の離れを借りて暮らしていた。帰宅のたびに裏口から「ただいま」と声をかけ、奥さまと世間話をするのが日課だった。先日旦那さまが亡くなったと聞いて、慌てて車を走らせた。
仏壇に飾られた若かりし日の写真を前に、胸の奥が締めつけられる。
線香を手向けると、奥さまが言った。
「健太君、人はいつかこんな小さな箱に入らないかんとよ。」
僕は小さく頷くと、仏壇の横に大きな年季の入ったピッケルが置かれているのが目に入った。
旦那さまは若い頃、仲間と世界中の山を登ったことをよく語ってくれていた。
「これはあの人の宝物やけんね。ピッケルの模型を作って棺に入れたのよ。きっと今頃、山岳会のお友達に良いもん持っとーねー!って言われよーよ。」
旦那さまが亡くなるまで二人はいつもと変わらない日々を過ごしていたんだそう。
一緒に晩酌をしたり、野球中継を見たり。
(ちなみに旦那さまは大の巨人ファンで、奥さまは大のホークスファン。両チームが試合をする日は僕もちょっと気を遣ってたっけ…。)
「95歳まで生きて最後まで元気に過ごせたんだから、あの人は幸せ者よ。」
昔、私たちはお見合い結婚だと笑っていた奥さま。けれど、その言葉の裏には静かに積み重ねられた幸せな年月があったのだと気が付いた。


