日本誕生の地・日田から読み解く日田隠しの謎
「卑弥呼、初代神武天皇の生誕の地」
「ひた隠し(ひたかくし)」という言葉をご存じでしょうか。どこか神秘的な響きを持つこの言葉には、古代日本の“真実の歴史”が隠されているのかもしれません。
先月号では、芸術家・後藤浩介さんの「芸術と日田隠し」というテーマを紹介していました。後藤さんは青年会議所の後輩でもあり、私と日田隠しの暗号について語り合った仲。また、日田出土「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」を中心に活動する「ヒタヒミコプロジェクト」坂本道也理事長さま、そして和田哲勇会長率いる「日田未来塾」による“日本誕生の地・日田”の取り組みなど、今、日田から新たなムーブメントが始まろうとしています。
『豊後国風土記』には久津媛(ひさつひめ)という神が人の姿で現れています。久津媛は卑弥呼や台与のような巫女的存在であり、祈りを通して国をまとめる“母なる政治”の象徴でした。すなわち、日田とは古代における風水的な聖地―「祈りの都」だったと考えられるのです。
一方、神話では初代・神武天皇が九州から大和へと向かった「東征」が語られます。歴史作家・関裕二氏は、その出発地こそ日田であり、諏訪へと逃れた建御名方神もまた日田を発祥とする、と著書の中で述べています。応神天皇と建御名方神―この二柱の神々は、「敗れても再生する」生命力の象徴として古代信仰に息づいていたのです。さらに『日田記』には、阿蘇宮司の言葉として「大原神社の本当の祭神は三毛野沼(神武の兄)であり、日田の人は誰も知らない」と記され、日田が神武王権と深い関係。姓氏大辞典には神武東征に日田の葛城直が同行した記述が残り日田と神武の関係を示唆します。
では、なぜ「日田隠し」と呼ばれるようになったのでしょうか。それは、かつて九州に存在した独立した王国が、大和政権に吸収され、歴史の表舞台から姿を消したためです。日田の先哲・森春樹は「大化改新までの五百年間、日田は独立した国であった」と語っています。日田の記憶はいつしか封じられ、やがて“ひた隠し”という言葉だけが、その痕跡を今に伝えていると、私は二十五年間の歴史研究から感じているのです。


