二〇二六年、丙午(ひのえうま)年の
初詣は「白馬が舞い降りた大原神社」へ
二〇二六年は丙午。日と火が重なり、太陽の力と大地の息吹が最も強く顕れる特別な一年といわれています。古代より丙午は「陽が極まる年」とされ、新しい時代が開き、光が満ちていく節目として大切にされてきました。十二支「午」は馬を象徴しますが、もとは動物そのものではなく、古代中国の暦に用いられた記号でした。のちに馬が当てはめられるようになったのですが、干支としての関係は深く、丙(ひのえ)は 陽の火、午(うま)は 馬と火の象徴です。馬は古代祭祀において“太陽を運ぶ存在” とされました。とりわけ白馬は、光そのものを体現する 「太陽の顕現」 と解釈されていたのです。宮中儀礼「白馬節会」や天照大神の神馬も、白馬と伝えられています。白は光・日・浄化の象徴であり、古来、白馬は太陽の馬=日馬(ひうま) として尊ばれてきました。丙午という“太陽の馬の年”は、この白馬の力が最も強く響く年でもあります。
この“日馬”の象徴そのままの出来事が、『豊西記』に記されています。元慶元年(八七七)九月朔日、岩松ヶ峯に八幡神が御示現し、白馬に乗って天へ昇り、玉鞍だけが松の下に残った。 この霊験によって岩松の地名は 「鞍形尾(くらがとう)」 と改められました。神の鞍が残されたという事実は、「ここに神が降りた」という揺るぎない証といえるでしょう。鞍形尾神社のすぐ横には 神降(かみふり)神社 があり、名のとおり、この地が 神の降臨の場(宇佐八幡起源の可能性を含む)であったことを示します。現在の大原神社は、この鞍形尾を起点とし元大原神社を経て、現在地へと遷座しました。さらに、日田創世神話「日と鷹の神話」に通じる、鞍形尾神社の背後に鎮まる 高(鷹)住(たかすみ)神社 こそ、本来の大原神社の“核”ではないかと私は考えています。
「日田(ひた)」の“日”は太陽・火の象徴、“田”は御饌(みけ)に通じ、水と稲の恵みを示す文字です。地名の起源とされる久津媛(ひさつひめ)にも“ひ”が宿り、この地が 日・火・水の力が調和する“聖域” であることを今に伝えています。
こうして見れば、丙午という来たる一年は、まさに日田にふさわしい“年”。 太陽の馬が力を増すこの年、清らかな日と火と水の気が参拝者をやさしく包み、新しい一年の光を授けてくれることでしょう。


