廣瀬淡窓と君が代の深層
日田の廣瀬淡窓が掲げた「みなよろし」。この言葉を思うとき、私は「君が代」の世界と、ふっと重なって見えることがあるのです。咸宜園の「咸宜(みなよろし)」は、身分や出自を越えて学びの門を開き、一人ひとりの個性を欠点ではなく役割として生かそうとする姿勢に通じる。皆が同じになるのではない。皆がそれぞれの場所で光る。その積み重ねが、まちの底力になる。淡窓の教育は、いまの私たちにも静かに問いかけてくる。
「君が代」もまた、さざれ石が巌となり苔むすまで続く時間を歌う。急がず、奪わず、長い歳月で安寧(あんねい)を育てる。そこには“時間の思想”がある。そして『古今和歌集』の文脈でいう「君」は、必ずしも天皇だけを指す硬い言葉ではない。家族や身近な人、大切な誰か、未来へ続く暮らしそのものを寿ぐ「和」の響きとして読める。もし天皇を明確に指すなら、「大君」や「天津君」といった表記が選ばれたとも思う。
日田の盆地は、山と川に抱かれ、朝霧がほどよく世界の輪郭を柔らかくする。三隈川の流れ、豆田の町並み、学びの気配が残る咸宜園。暮らしの中に「急がない強さ」が染みついている土地だ。だから“みな”がよろしいという発想も、誰かを置き去りにしない日々の知恵として息をしているのだろう。
さらに日田には、金銀錯嵌珠龍文鉄鏡に刻まれた「長宜子孫(ちょうぎしそん)」がある。末代までの繁栄、祈りの継承を思わせる言葉だ。争いを避けるのは弱さではない。時間を味方につける強さである。学びが人を育て、人がまちを育て、まちが次の世代の学びを支える。その循環を、淡窓も、君が代も、鏡の言葉も、別々の角度からそっと示しているように思える。
日田の奥深さは、遺物や史料だけにあるのではない。こうした“心の作法”が土地に編み込まれているところにこそある。そう考えると、日田を歩く時間そのものが、小さな石を拾い集める行為に似てくる。やがて苔むす巌となる、その途中に私たちがいる。だから今日も、みなよろし、と口の中でつぶやきたくなる。これこそ、日田人としての「心の世界遺産」ではなかろうか。


