
○ 日田市隈町 ○春光園 代表 ○77歳 ○日隈小学校→南部中学校→日田高校 出身
1998年10月に収録された『正調 コツコツ節(日田の舟遊び唄)』。私たちが聞き慣れたものとは少し趣の違う「コツコツ節」をはじめ、「水郷節」、「日田節」、「日田はよいとこ」など全11曲が芸者さんの演奏と唄によって収められています。曲と曲の間にはプロデューサーとして制作に関わっていた後藤功一さんが、芸者さんにお話を伺っていたり、とても貴重な映像となっています。封入冊子の表紙には岩澤重夫さんの絵『刻』が使われており、中には岩澤さんの編集後記も。その最後には「ベニスのゴンドラみたいな舟を造り、若い女性を乗せて、コツコツ節を唄ってもらえないものであろうか。もし作るようであれば僕が舟のデザインをしても良いと思っている。」とありました。日田で受け継がれてきた文化を新しい形で残していこうと考える人たちの思いやその活動の様子も伺えます。
「正調 コツコツ節」冊子の表紙と裏表紙(岩澤重夫氏 提供)※完売につき現在販売は行っておりません。
日田の遊び文化
「この『正調 コツコツ節』を制作するきっかけは当時の広瀬資料館の館長だった安藤正則さんと長島表具屋の長島さんの二人から、日田に残る舟唄などを芸者さんたちの唄と演奏で映像に残したいと相談されたことからでした。昔は隈や豆田には見番があり、よく芸者さんたちの唄を聞いていましたし、私自身も唄を習いました。当時収録に協力していただいた芸者さんたちが、日田で最後の芸者さんでもあり、日田の貴重な遊び文化でもある『舟唄』や『お座敷唄』のすべてを残したいと思いました。その思いをよく私のお店(春光園)に京都から来てくださっていた岩澤重夫先生に伝えると、冊子の表紙に絵を提供してくださり、文章まで寄稿してくださいました。福岡に住んでいた三勝さんという男形の踊りをされる日田の芸者さんはわざわざ収録に駆けつけてくださったりして、とても賑わったのを覚えています。芸者さんたちがお座敷や遊船で唄っていたものは、江戸で唄われていた『端唄』や『小唄』で、民謡とはまた違います。実際にこの映像の唄を聞いてもらえばわかりますが、これが『正調 コツコツ節』なんです。コツコツ節も作られた時代などはわかっていませんが、その曲自体は江戸から伝わり、それに日田で歌詞をつけられたものが唄い継がれています。DVDの中でも政恵姉さんが話されてますが、日田の芸者さんたちは博多まで唄や三味線を習いに行ってたんです。日田が『お金持ちの町』と呼ばれた時代、山林業では『一雨降れば何百万』の利益があったと言われてたように、日田の林業は日田の経済に大きな影響を与え、日田の遊び文化を支えていたことは間違いないと思います。文化にはお金が必要なんですよね(笑)。ただ時代の変化とともに、遊船やお座敷ではカラオケが普及し、芸者さんたちのお仕事が減っていったのだと思います。」

伝統文化を残していくこと
「このように伝統的な文化、特に普通の生活に溶けこんでいるものを残そうと意識を持つことは難しいことです。今回、こうやって映像に残し、何十年後にまた誰かの目に映ることはとても良かったと思いますし、これらが唄や演奏だったからなおさら映像で残してよかったと思っています。私は料理をしていますが、日田の伝統料理を作れる人はもうほとんどいません。うなぎの湯引きなんかも、昔の調理法とは全然違うんですよ。料理の技術は目でみて、聞いて学ぶものなので、なかなか継承してくことは難しいと思います。それでも日田には残していきたいと思う伝統文化はたくさんあり、この正調コツコツ節はそのうちの一つでした。ただそれらを次の世代の人たちにどうしてもらいたいという考えがあるわけではなく、それらはその時代に応じて評価していってもらえれば良いと思っています。」
Vol.89 UNDER THE SAME SKY
Photo by Ryo Higuma
Text by Yu Anai


