日田が生んだ江戸時代の実学者・大蔵永常

十数年前、大蔵永常の紙芝居を制作しました。三隈中美術部さん、大分先哲史料館長の平井義人さん、日田の河野不動産さん、そして漫画家の久世みずき先生。みなさんと一緒に形にできた時間を、いまも鮮明に思い出します。その紙芝居は図書館に寄贈しています。ぜひ多くの方に活用していただき、永常の知恵と志が次の世代へ手渡されていけば嬉しいです。
永常について考えるとき、私はいつも、廣瀬淡窓が“学びの場”で掲げた『みなよろし』を、永常は“暮らしの現場”で先に実装していたのでは、と思うのです。アオーゼに行くと、永常(ながつね)の像があるのをご存じですか。その堂々とした姿は、永常が「本の中の偉人」ではなく、生活のただ中へ知恵を届けようとした人だったことを静かに語っています。
永常の心には、幼少期の“飢えと寒さの衝撃”が焼きついていました。冬、寒さに震える農民を目にし、働いても報われにくい暮らしの厳しさを思い知った。「これは仕方ない」で終わらせず、どうすれば明日の飯と着るものが増えるのか。その問いが、のちの永常を動かしました。飢えや寒さは、本人の努力不足だけで深まるものではない。知恵と仕組みが届かないことで、苦しさは増幅してしまう。ならば、届く形に変えればいい。彼が選んだのは、机上で完結する学問ではなく、畑と台所に届く“暮らしの実学”だったのです。しかも永常は、知恵を“文字を読める人”だけのものにしませんでした。ならば、見れば分かる形にする。農業を誰でも真似できるように要点を絵で表現した。江戸のインフォグラフィック。永常の図解は「分かる」を「できる」へ変える道具であり、家や村が続くための“生活の設計図”でもありました。
永常は、江戸時代の三大農学者の一人でもあります。宮崎安貞は『農業全書』で農の知恵を体系化し、“基礎を築いた人”。佐藤信淵は農政・経済まで射程に入れ、“国の仕組みとして農を考えた農政家”。三者三様ですが、永常の色は生活者の目線で、知恵を手に取れる形にして渡したところにあります。
そして最後に、現「アオーゼ」の名称募集に私は「永常館」の名称を申し込みましたが採用されなかったことが。未だに悔やまれるのです。文化とは、学び、伝えていくものなのに。


