「日田隠し」シリーズ① 「山」 山の名に残る、祈りと畏れ 鬼、神、仏―― 日田の山名はなぜこんなにも濃いのか
日田の山の名を眺めていると、ただの地名とは思えないものに出会う。月出山岳(かんとうだけ)、一尺八寸山(みおやま)、渡神岳(とがみだけ)、出雲岳(いずもだけ)、釈迦岳(しゃかだけ)、そして岳滅鬼山(がくめきやま)など不思議な山が多い。読みにくいだけではない。そこには、神や仏、鬼や異界を思わせる、どこかただならぬ気配が漂っている。
たとえば一尺八寸山という名には、三つの尾を連想させる不思議な響きがある。月出山岳には、月が出るという字面の美しさと、日田富士とも呼ばれる山容の神々しさが重なる。渡神岳は神を渡す山のようであり、出雲岳は神話の国を思わせ、釈迦岳は山そのものが祈りの場であったことを感じさせる。さらに岳滅鬼山にいたっては、「鬼が滅ぶ」という強烈な文字が並び、名を口にするだけで山の空気まで変わるようだ。
山は、昔の人にとって畏れの対象であり、祈りを託す場所でもあった。だからこそ、その名には今もなお、説明しきれない感覚が残っているのだろう。日田の山名のおもしろさは、由来を一つに決めきれないところにある。むしろ、その曖昧さの奥にこそ、神話や神仏習合の気配、土地に積み重なった深い記憶が潜んでいるように思える。
日田は、神話の世界から神仏習合の世界へと続く、日本の精神史の縮図のような土地なのではないか。有明海、玄界灘、周防灘、豊後水道へと開かれた地の、いわば猿田彦の立つ八衢のような結節点として眺めるとき、その存在はいっそう象徴的に見えてくる。地名や山名、そして久津媛という日田の地名の起こり、さらに藤原恒雄という「僧の始まり」をめぐる謎をたどっていくと、日田という土地の深層が少しずつ浮かび上がってくる。これこそ、私が「日田隠し」と呼びたい世界なのです。


