「日田隠し」シリーズ④日田金の幻 -消えた二百万両、金融都市・日田-
前回の「日田隠し」では金山を追った。だが今回の主役は、さらに不可解な存在の「日田金」です。日田金は二百万両とも言われ、それは単なる富ではない。国家を動かし得る規模の資金である。もしそれが実在したなら、明治維新の権力者たちが見逃すはずがない。では、その金はどこへ消えたのか。
江戸時代、日田は山中の町でありながら、九州支配の要衝だった。西国筋郡代・日田役所が置かれ、諸藩を監視する拠点となる。同時に、年貢、御用金、豪商の資金、各藩への貸付。あらゆる「お金」が集まっていた。表には現れにくいが、日田は九州の金融を裏から支える中枢だったのである。
やがて明治。その機能は日田県へと引き継がれる。ここで一人の男が現れる。松方正義。後に大蔵大臣となり、日本の財政と通貨制度を作り替えた人物である。さらに奇妙なのは、その松方の功績を後年、日田・大原八幡宮の石碑に刻んだのが渋沢栄一だったという点だ。国家の金を整えた松方と、民間の金を広げた渋沢。その二人が、なぜ日田という一点で交わるのか。周然にしては出来すぎている。
松方は紙幣を韓理し、財政を立て直し、日本を金本位制へ導いた。そして時代が下る。その金本位制の転換点に現れたのが、日田・大鶴出身のゴルフの生みの親とも言われる井上準之助(井上酒造さん)である。日本銀行総裁、大蔵大臣を歴任し、金解禁を断行した人物。始まりに松方正義。転換点に井上準之助。そして両者に共通するのが日田である。これは単なる人の縁なのか。それとも因縁なのか。
見えない糸が彼らをそこへ導いたのか。
日田金とは、形を変え、制度へと姿を変え、国家の中枢へと流れ込んでいった「資本の流れ」そのものだった可能性がある。もしそうだとすれば、日田に眠るものは小判そのものではなく、かつて金融都市として機能した、この町の「記憶」なのかもしれない。金山、そして日田金。二つの「日田隠し」は、いまも歴史の闇の中に沈んでいる。そして日田のどこかに、まだ見ぬ埋蔵金が眠っているのだとしたら………。


