「日田隠し」シリーズ⑦ 『豊後国風土記』に残された「神となった女王」の記憶
『豊後国風土記』日田郡の条には、景行天皇が日田へ入ったとき、「この地に神あり、名を久津媛という」と記される。久津媛は「化して人となり」、天皇を迎え、国の様子を申し上げた。その名から久津媛の郡と呼び、訛って日田になったという。地元には、天皇が久津媛に会う前に禊ぎをしたとの伝承もある。身を清めてまで会った久津媛とは、何者だったのか。
注目したいのは、久津媛が道案内の女性ではなく、「神」と記されていることだ。人の姿となって外から来た王を迎え、国の事情を説明している。これは久津媛が、日田を代表する祭祀者であり、政治的な権威も持っていたことを思わせる。
一方、『魏志倭人伝』の卑弥呼も、「鬼道」に仕えて人々をまとめ、諸国から共立された女王だった。神意を受けて国々を結ぶ祭祀王である。両者には「神に仕える女性」「国を代表する者」「外部の王権と向き合う者」という共通点が見えてくる。しかし、『豊後国風土記』は八世紀に編まれた史料であり、三世紀の卑弥呼や台与の記憶が、久津媛に重ねられたことを示す直接の証拠はない。景行天皇の巡幸説話も、そのまま年代上の事実とはできない。断定には慎重さが必要である。また、会所山には鳥羽宿禰の居館や墓とも伝わる鳥羽塚があり、石井神社には鳥羽宿禰が祀られている。その存在は日本武尊の記憶をも連想させる。
久津媛の物語には、中央の歴史書に残されなかった日田の女王の記憶が、「土地の神」となり、景行天皇を迎える物語へ組み替えられた可能性がある。さらに「神である久津媛」は卑弥呼を、「人となった久津媛」は台与を映しているのかもしれない。久津媛は私の二十五年間の古代史研究の中で「瀬織津姫」と思っている。
久津媛神社には、「この山が荒れれば、この郡は潰れる」との伝承が今も残るという。日田の起源を物語る久津媛と会所山。そこに刻まれた日田の記憶を、先人の言い伝えとともに未来へ橋渡ししたい。その思いから、私は『日田隠し』を書いている。未来へつなぐ、私なりの小さな種まき。


