「日田隠し」シリーズ⑨ 時代の中で消えた・ 日田古代豪族 日下部氏
日田の古い地名「刃連(ゆきい)」。その響きの奥に、ひとつの豪族の記憶が眠っている。日下部氏(くさかべし)である。
『豊後国風土記』には、一族の祖とされる邑阿自(おおあじ)が、欽明天皇の時代に「靫部(ゆぎべ)」として仕えたとある。靫とは、矢を入れて背負う道具。その奉仕にちなむ「靫負村」「靫編郷」が、刃連の地名につながると考えられている。『日本書紀』で、神武天皇と饒速日命が「天神の子」である証として示すのは、矢と靫である。神話のなかで権威を表す品が、日田の豪族の由緒にも現れる。両者の直接の関係は証明できない。それでも、靫に関わる奉仕が、一族に何をもたらしたのかは気になる。天平9年(737)の『豊後国正税帳』では、日田郡の記録と考えられる部分に、長官・日下部連吉嶋、次官・日下部君大国の名がある。日下部氏は、伝説のなかだけの存在ではなかった。
日田の古い支配者をたどると、さらに別の名に出会う。『国造本紀』が日田の国造として伝える鳥羽宿禰。その人物には「葛城国造と同祖」と記されている。久津媛神社のある会所山周辺には、この人物の墓と伝わる鳥羽塚古墳がある。墓の主は確定していないが、日下部氏の由緒が残る刃連と近い地域に、日田国造の記憶も重なる。これは何を意味するのだろうか。姓氏研究者の太田亮は、葛城国造との同祖関係から、葛城直が日田の豪族として神武東征に従ったのではないかと推論した。一方、畿内などの日下部という集団を、葛城氏が取りまとめていたとする研究もある。 鳥羽と日下部氏は、どうつながるのか。後の大蔵氏との血縁も、確認できていない。私自身、今の日田で日下部という姓を耳にしたことがない。もちろん、それは一族が絶えた証ではない。名を変えたのか。他家に続いたのか。それとも、この土地を離れたのだろうか。
刃連という地名に眠る、日下部氏。そして三芳に残る日下部神社、法恩寺山古墳群。神社と一族との関係や、古墳に眠る人物には、まだ謎が残る。それでも、これらの場所に思いを寄せると、遠い時代の日田から声が届くように思える。ここに生きた者たちがいたことを、忘れるなって。


