あなたの「普通」、わたしの「普通」。フツーは色々あるけれど、
境は常に揺らいでる。境が無いからワカラナイ。結局「普通」はワカラナイ。
鋭きも鈍きもともに
幸せを願うという人間の「核」の部分はいつの世も万国共通で、その「表現」は人の数だけあると言っても過言では無い程多彩!そして、選択肢の多様さと自由さは常に当たり前に重要ではないでしょうか。沢山の個が「ゆるされる」社会は、イコール「ほっとする」社会。日田の先哲・淡窓さんも二百年以上前に言っています「鋭きも鈍きもともに捨てがたし 錐(きり)と槌(つち)とに使い分けなば」と。それは「生物多様性」とも繋がりますね。人間が知っている知識など森羅万象のほんの一部なのだから、どんな生き物がどんな生き物とどう影響し合っているかなんて誰にもわからないのに、強い「右へ倣え」思考はあまりにも危険すぎます。多彩な考え方、生き方があって良い。ことごとくよろし(咸く宜し)の世界観を今こそ!!
ボーダレスな美しい混沌
障碍の有無に関係なく、生活に根ざした表現の実践、アート(全ての芸術活動)を仕事にする試み、日田の地域で生まれる創造的な関係が育っていく、魂がのびのびする人が増える…沢山の人がより楽しくより豊かに人生を送ることが出来るようになる…。そんな想像、楽しい!そうは思いませんか? そもそも「アート」とはなんでしょう?人間誰しもが持つそれぞれの「何か」を自分の中に探り続け、それを一つづつ感じ、表現せざるを得ない衝動に素直に従いながら、様々な形で自分の外に表出させる行為です。時に時代を変える力をも持つもの。本来、非常にシンプルで誰にでもどんな時でも出来るはずの行為であるにもかかわらず、どうして一部の人(アーティスト)のものと私達は決めつけて線を引いてしまうのでしょうか。日常的に芸術全般に親しんでいる方も勿論居られるとは思いますが、「アート」と銘打つととたんに距離を感じてしまう市民も、やはりまだまだ多いのかもしれません。
そんな中、近年は「アール・ブリュット」という、評価を求めないより無垢なアートに人気が集まっています。アートとは何か?
などという疑問や理屈を度外視した魂の自由な表現は、嘘や誤魔化し・仮面の表現が溢れた今の世の中で、より輝きを放っています。 「評価を主に気にしない表現」は、なぜか私たちの心を揺さぶります。表層状の体裁から解き放たれた個の「核」が輝くとき、本人もまわりで見ている人もきっと心を動かされるでしょう。個々を震わせるその振動は、隣の人の魂を揺さぶりまた隣の人へ、やがて大きく波のようにひろがってゆく…。そこはボーダレスの世界で、言葉の要らない誰しもに通じる世界なのかもしれません。そういった、心に直接作用するような作品をつくることに長けた人が、日田にも居ます。「まだ誰にも知られていない人」たちも含めて。
私たちの国が戦後、
ここまで豊かになったのはなぜか。
いわゆる日本経済成長の奇跡の秘密として
年功序列、終身雇用、それに企業内組合の
三つがあげられてきた。
それはその通りかもしれないが、もうひとつ
大事なことが隠れていると私は長年言ってきた。
お互いがお互いの
“助っ人”になることに平気という
私たちの社会の癖のことである。
小野で幼少期を過ごし、晩年日田で「自由の森大学」の学長を務め、
じっくり日田と向き合ってくれた故筑紫哲也さんの言葉
「碍子(がいし)」をご存知ですか?
碍子(がいし)=電気の絶縁器具。これは電柱や鉄塔などで大事な役割を担うものです。「障がい」の漢字表記は元々「障碍」でした。常用漢字表から外れてから、替わりに「害」の字があてられ、さらに現在は「がい」のひらがな表記が多く使われてきましたが、なぜか最近は害の字に戻りつつあります。ヒタスタイルではあえて2019年の障碍特集第1回より引き続き「碍」の字を使うことを選択しています。
日田の先哲、廣瀬淡窓こと「たんそうさん」の人生は常にハンデと共にあった!
「ことごとくよろし(咸宜)」「鋭きも鈍きもともに捨てがたし錐と槌とに使い分けなば」この格言を残した「たんそうさん」は、日本一大きな学校(私塾)を日田の地で創りあげた方。子どもの頃から常に病気がちで、人生の3分の2(通常3分の1)を床で過ごした程と言われています。遠方に行けないからこそ、各地の識者達や全国からやってきた門下生達と、この日田の地で多いに交流を深めました。また、眼性疾患を抱えていたからこそ(小さい注釈等は読めない)独自の想像力豊かな読解力を獲得していたのだそうです。人間に必要な「創造力」を未来へ繋ぐという大きな仕事を日田で全う出来たのは、正に自身のハンデとコンプレックスを大きくバネに活かした結果と言えるのではないでしょうか。そして、そんな一途な魂とそこにかかわる人々の「咸宜園」の物語は、今も私たちに沢山の伝言を発し続けているのです。
「アールブリュット」
障碍者によるアートは昨今「アールブリュット」というフランス語の呼び名でより注目が集まっています。アールブリュットは元々「生の芸術」ということで、精神障害の方が独学で誰の評価も求めずに表現した絵画を指していましたが、この数年は意味合いが広がってきているようです。
日田の障碍者アートのこれからに、ご注目を。
2022年にパトリアで開催された「コア・アート展」以来、アオーゼにて継続中のオープンアトリエとも連携し、まずは作品づくり経験のある障碍者の方々を中心に、今夏より試験的な挑戦として新たなオープンアトリエがパトリア日田で始まっています。来年のパトリア日田20周年に合わせて、障碍者アート展の開催に向けた作品づくりも兼ね、個性に応じた表現の可能性を拡げる為の様々な画材と環境を準備しながら、新たな作家や作品の発掘にも繋げていきます。絵に限らず音楽や舞台芸術等を楽しんでいる方々とも連携しながら、皆がやり甲斐を感じてもらえるような、そんな「場づくり」を考えています。
障碍者の社会参加と豊かな人生の選択肢を少しでも増やす手伝いをする事は即ち、健常者の豊かな人生を模索することでもあります。興味のある健常者にも参加してもらい、一緒に楽しんでもらう場を作ることで、延いては障碍の有無にかかわらず、より多くの市民の豊かな人生への可能性と直結し、次世代へと繋がっていく事を期待しての取り組みです。(※詳細等は、当面の窓口としてヒタスタイル迄お願いします。)
HITA STYLE back number
“people with disabilities”Special feature
日本の抽象画の草分的存在・郷土出身画家宇治山哲平さんの言葉
どんなに偉大な文化、思想、芸術でも、人間を圧迫し、一方にかたよらせる権利はありません。習慣的な考えは、多くの場合圧迫され、かたよらされた考えです。時代に先行する思想家、芸術家はこれに対して反逆という形をとって、人間のために人間を取り戻そうとします。(略)新しい絵を見るのに一番大切なものは、生き生きとした心です。新しい絵を見るのに必要なことは、絵に対する習慣的な考えを捨てることです。
「宇治山哲平展-絵に遊び、絵に憩う」より



鋭きも鈍きもともに 

