咸宜園を世界遺産に廣瀬淡窓先生の名言
廣瀬淡窓が開いた私塾「咸宜園(かんぎえん)」の「咸宜(みなよろし)」は、「すべてのことがよろしい」「みな宜し」という意味です。この言葉は、中国最古の詩集『詩経』の「咸宜(ことごとくよろし)」に由来し、淡窓は「門下生一人ひとりの意志や個性を尊重し、どんな身分の人でも平等に受け入れる」という教育理念を込めて塾名としているのです。淡窓は豆田町の長福寺学寮を借りて教授を始めました。それから「成章舎」「桂林園」と場所や塾名を変えながら教授を続け、一八一七年に現在の場所に咸宜園を開塾し、の出身塾生として大村益次郎(兵学者・蘭学者)や長三洲(近代学制の起草者)、上野彦馬(坂本龍馬の写真を撮影)、朝吹英二(三井財閥・王子製紙会長等)、清浦奎吾(第二十三代内閣総理大臣)などがいます。
淡窓先生の私が好きなところは、「三奪法」による武士だけでなく庶民や女性にも学問の門戸を開き、平等教育を江戸時代に実践し、学業だけでなく生活指導や職務分担を徹底し、人間性・社会性を重視した教育を行ったことです。日田市は二〇一〇年に世界遺産推進室を設置し、咸宜園の世界遺産登録を目指し、また民間団体として「咸宜園放学遊山の会」(会長・宇野公是)も協働しています。
明治から始まった「産業のための教育」に対して、今、淡窓先生が生きていたら、何を語るのでしょうか…。
私の好きな淡窓先生の名言を紹介します。今回から数回にわたり淡窓先生特集をしたいと思います。
錐と鎚は、それぞれ使い道が異なり、どちらがより優れているというわけではない。人間も同様で、頭の鋭い者も鈍い者も、どちらも必要な人材であり、力を発揮できる分野が異なるだけである。錐と鎚のように、用途で(適材適所で)使い分ければいいのだ。人間を「鈍い」からといって粗末に扱うのはもっての他である。