ヒタスタイルヒタスタイル
  • TOP
  • TOPICS
    • 特集
    • HITA BIJIN
    • 日田人同じ空の下
    • 世界の料理を日田で食う
    • フライング・キッズ
    • 日田で働く
    • 高校生スナップ
    • コラム
    • イベント
  • BACK NUMBER
  • CONTACT
2025年6月1日

歴史コラム 第四十回 佐々木 祥二

歴史コラム 第四十回 佐々木 祥二
2025年6月1日

咸宜園を世界遺産に廣瀬淡窓先生の名言

廣瀬淡窓が開いた私塾「咸宜園(かんぎえん)」の「咸宜(みなよろし)」は、「すべてのことがよろしい」「みな宜し」という意味です。この言葉は、中国最古の詩集『詩経』の「咸宜(ことごとくよろし)」に由来し、淡窓は「門下生一人ひとりの意志や個性を尊重し、どんな身分の人でも平等に受け入れる」という教育理念を込めて塾名としているのです。淡窓は豆田町の長福寺学寮を借りて教授を始めました。それから「成章舎」「桂林園」と場所や塾名を変えながら教授を続け、一八一七年に現在の場所に咸宜園を開塾し、の出身塾生として大村益次郎(兵学者・蘭学者)や長三洲(近代学制の起草者)、上野彦馬(坂本龍馬の写真を撮影)、朝吹英二(三井財閥・王子製紙会長等)、清浦奎吾(第二十三代内閣総理大臣)などがいます。
淡窓先生の私が好きなところは、「三奪法」による武士だけでなく庶民や女性にも学問の門戸を開き、平等教育を江戸時代に実践し、学業だけでなく生活指導や職務分担を徹底し、人間性・社会性を重視した教育を行ったことです。日田市は二〇一〇年に世界遺産推進室を設置し、咸宜園の世界遺産登録を目指し、また民間団体として「咸宜園放学遊山の会」(会長・宇野公是)も協働しています。
明治から始まった「産業のための教育」に対して、今、淡窓先生が生きていたら、何を語るのでしょうか…。
私の好きな淡窓先生の名言を紹介します。今回から数回にわたり淡窓先生特集をしたいと思います。


錐と鎚は、それぞれ使い道が異なり、どちらがより優れているというわけではない。人間も同様で、頭の鋭い者も鈍い者も、どちらも必要な人材であり、力を発揮できる分野が異なるだけである。錐と鎚のように、用途で(適材適所で)使い分ければいいのだ。人間を「鈍い」からといって粗末に扱うのはもっての他である。

前の記事【オヤ侍コラム】 瀧石 〝シンス マーロウ〟信介 ラストダンス次の記事 【ひた女コラム】 日田林家 あささん 木配りと気配りのこと

新着情報

  • 日田人同じ空の下 VOL.081
  • 高校生スナップ
  • 【オヤ侍コラム】 橘 六六六 中村家菓舗
  • ねーぞう君 vol.87
  • 【コラム】原 茂 樹 ファンタスティック・ネグリート来日公演!

カテゴリー

  • BACKNUMBER
  • HITA BIJIN
  • LIBERTE
  • さくらスポット
  • イベント
  • コラム
  • フライングキッズ
  • 世界の料理を日田で食う
  • 広告
  • 日田で働く
  • 日田人同じ空の下
  • 特集
  • 高校生スナップ

アーカイブ

  • 2025年6月
  • 2025年5月
  • 2025年4月
  • 2025年3月
  • 2025年2月
  • 2025年1月
  • 2024年12月
  • 2024年11月
  • 2024年10月
  • 2013年1月
  • 2012年12月
  • 2012年11月
  • 2012年10月
  • 2012年9月

タグ

お酒 小鹿田 小鹿田焼 料理
日田生まれ、日田育ち、日田を知りたい日田式情報誌

発行/月刊ヒタスタイル
〒877-1354 大分県日田市坂井町443-11
Tel.0973-22-7316
発行人/クマガエデザイン 熊谷健二

©︎2024 ヒタスタイル All Right Reserved.