ひた女コラム四回目、六年目の日田は、復職し、てんやわんやの毎日だ(引き続きよろしくお願いします。おじいちゃん・おばあちゃん毎日ありがとう!)。
さて今回は番外編を寄稿させてもらいたい。
私事だが四月に父が急逝した。長年の闘病の末だった。私が林業に携わりたいと思ったのは小学生の時だが、それは物心付いた時から、父に毎週毎週渓流やダムに連れて行かれて、山や森の景色を(スギ・ヒノキの人工林が多かった。)刷り込まれたからだ。
無類の渓流・淡水魚好きだった父。実家は淡水魚の生態や釣りの書籍で溢れ、水槽が並ぶ。私の日田勤務が決まった時、父の頭の中ではヤマメにワカサギにアユが泳いでいたことだろう。生前父は日田を2度訪れたが、ドア・ツー・ドアで市内を流れる川を見られたかどうか…。代わりに父の誕生日にはヤマメの塩焼きを、ちょくちょくアユを持って帰った。朝釣ったアユを生きたまま持って帰ったこともある。ヤマメの塩焼きにかぶりついた時、生きたアユを掴んだ時、少年のように笑う父が忘れられない。最後の1年はほぼ入院で、ご飯も食べられなくなっていたが、退院したらヤマメを頼むと最後まで諦めなかった。
去年コラムで、日田の森林・林業をもっと知ってもっと好きになると宣言したが、今日まで動けていない。今年の夏は、日田の渓流やダム、豊かな山や美林を訪れて、父を喜ばせてくれた今までのお礼を言えたら良いな。
【ひた女コラム】 日田に住む3 日田林家 加茂明子