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2025年11月3日

日田ん狛犬

日田ん狛犬
2025年11月3日

狛犬のルーツは古代オリエントの「ライオン」か!

元をたどればライオンがいた

 ずばり「狛犬」のルーツは、今から五千年ほど前の「古代オリエント(現在の中東地域」にまで遡る。その頃は、「人間の次に広範囲に生息した生き物」というくらい「ライオン」がアフリカ以外にも生息していて「百獣の王ライオン」という言葉通り生態系の中に君臨しており、人間も大いに畏れる存在でした。大地の野生的な力の象徴、聖獣、「勇敢な心」のシンボル、眠らないので墓守や宮殿の門番としてその像が多用され、更には強いライオンをも征する程の「強さを示す」為に利用されました。メソポタミア地方では「王によるライオン狩」が重要な通過儀礼として伝統的に行われたのだそうです。

ライオンが生息しない国にもそのイメージは広く伝搬した

 王の証として好まれたライオンの意匠、そのイメージはライオンが生息していない地域にまで及び、ヨーロッパにも伝搬、宗教的・政治的・軍事的に取り込まれ広まりました。その名残が意匠として、現在も紋章のデザイン等に利用されています。

暦 こよみとライオン
●一年間の太陽の位置を十二の宮に関連づけた「獣帯(じゅうたい)」観念の普及は、ライオン像を季節の変化や時間の推移のシンボルに変えた。「獣帯」では、現行暦の七月から八月に太陽がはいる区画を「獅子宮」と呼んだ。古代西アジアでは、この時期を「春」とし、万物が生まれ育つ季節とした。

人面のライオン
●シュメール、アッシリア、ペルシアといった西アジアの偉大な帝国は、ライオンを王権のシンボルに採用した最初の国々であった。そしてこの「ルーツの国」には、まことに興味ぶかいライオン像が成立した。人間の顔をしたライオンである。一般にこれを「スフィンクス」とも呼んでいる。●古代ギリシアでは、さらにマンティコラスと呼ばれる人面ライオン体の怪物がいた。元来ペルシア語で「人食い」を意味したという。●スフィンクスを代表とする人面ライオン体の神は、案外と東アジアには存在しないのである。不思議な現象である。たしかに、これとは逆の、顔がライオンである神像の場合は獅子舞をはじめとして東アジアにも同類が多い。だが人面は少ない。

星と水とライオン
●
季節と結びついたライオンは、エジプトにおいてさらに重要な意味を加えられた。水との関係である。エジプトでは獅子宮に太陽がはいる月に、ヘリアカル・ライジング現象が起きる。日の出直前に東の地平線上に出たシリウス星を、太陽が追いかけるようにして昇る現象である。エジプトではこの日が暦の始まりで、ナイル川が増水する。よって、ライオンは口から水を吐き、ナイルに実りをもたらす象徴となった。
ヘリアカルライジングとは
天体があたかも太陽を従えるかのように、日の出直前に東の空に上ってくること。エジプト文明やマヤ文明では、シリウスのヘリアカルライジングを1年の暦の区切りとした。英語読みのヒライアカルライジングと表記されることもある。(公益社団法人 日本天文学会「天文学辞典」より)

ライオン = 獅子獅子は猫族の「師」なのだ
●東アジアの国際語といってよい漢字が通用する国々では、ライオンは獅子と表記された。古くは「師子」と書き、ネコ族の同類たち(子)の指導者(師)を意味した。●師子はサンスクリットでライオンをあらわす「simha」を意訳した語でもある。

(解説内容は荒俣宏著「獅子」王権と魔除けのシンボルより引用)

サンスクリット語で<阿A> は口を開いて発する最初の字音 〈吽hum〉は 口を閉じて発する最後の字音。万物の始源と終極を象徴するもの。

「こま犬」について

全国には八万余りの神社があり、そのほとんどに一対の「こま犬」が安置され、また「こま犬」に関する伝説や言い伝えは各地にある。一方、諸外国にも王や宮殿の守護獣としてライオンを元とした獅子像が置かれているが、日本の狛犬とは趣きを異にする。しかし、「高麗犬」や「狛犬」と書かれるように中国や韓国には生息しないライオンが「唐獅子」になり、やがて遣唐使などにより日本にも伝わり、我が国独自の「獅子・狛犬」になったと云う。
当初、宮中本殿の調度品だった小さな「獅子・狛犬」は、時代と共に神社や寺院の守護獣として安置され、その数も増え、形も大きくなった。
今では、神殿の前の一対を総称して「こま犬」と呼んでいるが、本来神殿に向かって右側の口を開けた方(阿形)は「唐獅子」で、左側の口を閉じた方(吽形)が「狛犬」であり、この「狛犬」の方には頭部に一本の角があった。実は、「阿・吽」の形は寺院にある仁王様と同じで、非常に仲の良い形容詞である「あ・うんの呼吸」として使われている。
「こま犬」の姿・形にはいろいろあるが、普通は守護獣らしく腰を据え、超然としているものが多い。大きさも、東大寺南大門にある高さ1.88mのものから10cmぐらいの小さなものまであり、その素材も木彫り、石造、陶器、金属製など様々ある。
これまで見た「こま犬」の中で最も印象に残っているのは、太宰府天満宮にある大理石で造られたもので、黒水晶の玉眼がはめ込まれ、美しく立派なものだった。
「こま犬」によく似たものに、沖縄の「シーサー」がある。これは唐獅子と狛犬の中間的存在のもので、魔除け、家内安全を祈願して屋根の上に置かれたもの。その外にも、「こま犬」の代わりに猿や猪などの変わった獣を安置している所もある。時に、大分県は「石造美術の宝庫」と云われる程、いろいろな石造物が多いが、お互いに古い文化財を大切に保存し、子孫達に継承したいものです。

豊後森藩資料館・わらべの館
(玖珠町・久留島武彦記念館横の郷土資料館)清田コレクション所蔵「狛犬1」より

師子奮迅 ししふんじん
●仏が三昧の境地にはいってライオンが奮い立つように大悲の身を奮い、人々に力を与えるさま、をあらわす。●また仏たちが乗る座、あるいは乗りものも、みな師子座と呼ばれた。大日如来の獣座として中国でデザインされた獅子形は、「唐獅子」のルーツといわれる。

見張り番の役を果たす寓意装飾
ぐういそうしょく
●ロンドンのトラファルガー広場や東京の日本橋三越のシンボルになっているライオンは、夜も眠ることなく番をしている羊飼い(すなわちキリスト)の象徴でもあり、これはギルガメッシュに始まる遊牧民の王(ライオン狩の王)を讃えるシンボルでもある。●イギリスで用いられるライオンの造形は、イギリス軍が支配したアフリカ各地で狩られたアフリカ亜種(のライオン)によっている。イギリス人が19世紀以後アフリカで行ったライオン狩が、世界じゅうにこの猛獣のイメージを普及させた原動力となった。事実、アフリカではライオンを神や祖先と考える土地が多く、この猛獣を屈服させることは植民地を支配することと同義であった。●イギリスはライオンを国家と国軍の象徴とした。●アメリカでも多用され、たとえば、映画会社の大手MGMのトレードマークとなり、フィルムの輪の中で吼えるライオンになっている。

沖縄のシーサー
●沖縄のシーサーについては次のような伝説が残っている。「十七世紀尚貞王(しょうていおう)のとき、ある風水師が、火の性質をもつ山のそばにあった村を火から守る方法を伝授した。獅子の石像を山に向けて建てよ、と教えたのである。以来、シーサーは火伏せの守護獣となった。」

文殊菩薩 もんじゅぼさつ は、獅子王のなかの獅子王
●文殊は大叡智の仏であり、生身の姿で五台山(ごだいやま)という険しい崖の上に住み、いつも獅子の背に乗って行幸(ぎょうこう)した。五台山は牡丹が咲き乱れ、獅子が遊ぶ楽土である。この文殊にあこがれて五台山を目指した日本の入唐僧が、円仁(えんにん794~864・のちに慈覚大師)である。文殊の説教には西域の占星術も含まれ、獅子宮を含む「獣帯」の観念が東アジアに伝わった。●日本では「石橋(しゃっきょう)」と題された能がつくられ、文殊の浄土に対する憧れを民間に定着させた。「唐獅子牡丹」や、わが子を五台山の崖から落として試す獅子の子育て話も広まった。

能の演目「石橋」 しゃっきょう
●いつも高い丘の上に住み、天国に最も近いところで暮らすというキリスト教的なライオン像は、インドで成立した『華厳経』に説かれている文殊菩薩のそれを彷彿とさせる。のちに中国で広まったイメージによれば、獅子は五台山(ごだいやま)という山頂の浄土で、文殊菩薩とともに暮らしており、そこへ行くには空中にわたされた石橋をわたらなければならない。日本で『石橋(しゃっきょう)』と呼ばれる舞台は、これをベースに置いたものである。

(解説内容は荒俣宏著「獅子」王権と魔除けのシンボルより引用) 

【星隈神社】 北友田2丁目1950-1
○造立年:大正15年 (1926年)4月

【大原八幡宮】田島2丁目184
○造立年:天保4年(1833年)6月

【大原八幡宮】田島2丁目184

【日隈神社】庄手601・亀山公園
(2021年8月撮影)

【月隈神社】 丸山2丁目3
○造立年:文政3年(1820年)11月

【日田神社】城町2丁目7-7

【元大原神社】求来里

東アジアでライオンは「獅子」に

 日本を含む東アジアではライオンは「獅子」の名前で、いわゆるシルクロードを通じ各地に広まりました。トラやヒョウまでも食いつくすというライオン伝説が、中国に二千年以上前に流入しているそうです。中国では既に獅子に近い存在の魔除の架空の生き物がいたので、うまい具合に合体したのかもしれません。ライオン=獅子は仏教と共にさらに韓国・日本へ渡りそのイメージを変化させてゆきます。

猫だけど犬!?日本独自の意匠

 古代オリエントからの名残でありギリシャ神話とも結びついていた天体現象とライオン(獅子)の神秘的な関係性は、日本の僧「円仁(えんにん)」が平安時代中頃に中国から持ち帰った「密教」の中にも活きていて「宿曜道(しゅくようどう)」という占星術に使われる図の中に獅子の絵を見る事ができます。狛犬たちの表情「阿(あ)と吽(うん)」は、サンスクリット語(梵語・古代インドを中心とする南アジアから東南アジアで使われた言語。欧米の言語形成にも影響し、日本語もサンスクリット語が語源の言葉が多数アリ)の始まりと終わりの言葉を表しており、日本語のあいうえおの「あ」と「ん」と一致しています。

時代と場所によりさらに変化

 平安末期には「鳥獣戯画」にも架空の動物として獅子が登場。室町時代に成立した日本の古典文学作品「太平記」も、「師子国」ことスリランカ島(インドの南下)の、獅子に縁のあるシンハラ王朝創設始譚を伝える。後の江戸後期「南総里見八犬伝」のエピソードにはスリランカの話とよく似た部分があるのだそうです。そして、家康を祀った「日光東照宮」の装飾では、デザインが洗練され一定の完成系に到達したかのような「唐獅子」の造形が多用されています。また、能の「石橋(しゃっきょう)」は室町時代に作られましたが、一度途絶え、江戸時代初頭に復活しているそうなので、やはり唐獅子の日本独自の意匠は江戸時代に洗練されたのではないでしょうか。それでは何故、右が獅子左が狛犬という形で「狛犬」は生き残ったのか??その時代にほとんど全てが獅子同志の組み合わせに置き換わってもおかしくはなかったハズ…。しかもその後「狛犬」は地方で更に別の架空の生物に置き換わったりしているのです!

それはなんと「かっぱ」!

神社のイメージが強い狛犬ですが、明治政府による「神仏分離」(明治元年・1868年)より以前には、狛犬がお寺にも居たそうで、全国にはかろうじて今も寺に残されている希少な場所もあるようです。獅子が文殊菩薩の乗りものだったり、仏像が立つ台座の支え役だったりするのも、古代からの経緯をたどると納得!です。政治や軍事等権力に利用されたライオンの時代から、自然に対しての畏怖と畏敬の念、水害や火伏せ雨乞いなど、人々の純粋で素朴な祈りの気持ちが凝縮されて帰結したような「かっぱ狛犬」になんだか惹かれてしまうのです。地元ならでは感もあり本当に素晴らしい!

【玉垂神社】玉川町581
○造立年: 昭和5年 (1930年)

【玉垂神社】 玉川町581○造立年:
(上)大正14年(1925年)1月
(下)天保7年(1836年)7月

【御前嶽神社】前津江町柚木

【鞍形尾神社】(くらがとう・大原八幡宮の祖神社)天瀬町馬原500

日田石と石工(ひたいしといしく)

 地元といえば、昔は「日田石」と呼ばれた石の文化があったそうです。隈の古老S氏(92才)のお話では「石山が三隈川から周囲に3つ見えていた。久留米の旗崎という所に間知石(けんちいし・石積みに使用される四角錐形の石材)を運んだ」「一時期石屋をやったが、あれは『石の目』を見極めるのがとても難しく、泥棒以外は何でもやった私(笑)ですが、こればっかりはとうとう最後まで上手にやれなかった!」との事。また、石工には建築系と作家系があり、おそらく建築系と思われる名人の名前を教えてくれた。友田の堀ごろうさんとその弟子の大山の林さんという方。堀さんが造った九大線の線路の石垣は、昭和28年の歴史的大水害の際に一箇所も崩れなかったという。石工については、地元の石工さんの事をもっと知りたいと思っていますが、昔とは大きく状況が変化しておりあまたの匠に言える事ですが、石の文化も風前の灯火状態か…。今回紹介した狛犬の台座に確認する事が出来た石工のお一人は池辺村(現池辺町?)の方でした。地元石工さんについては引き続き調べていきたいと思っています。情報提供等、応援何卒よろしくお願いします。

【出口老松天満社】 天瀬町出口字中村
○造立年:
文久2年(1862年)8月

【羽野天満宮】
○造立年:天保8年(1837年)3月

【志賀神社】夜明中町

【八坂神社(隈)】 隈2丁目8-30
○造立年:(左)文政8年(1825年)2月・
(右)昭和35年(1960年)7月

狛犬の向こう側

 「高麗(こま)犬」という名前なのに、なぜか中国・韓国には「狛犬」は存在しないのだそうです。しかし皮肉な事に現代の狛犬は逆輸入状態。国産物は昭和〜平成時代に愛知県岡崎市で大量生産された『岡崎現代型』が多い様です。それも、現代らしい完成された美しさがあります。狛犬の誕生や分類ついては、未だハッキリしない部分が多く、規則性も結構バラバラ。そんなところも未知の生物みたいで魅惑的♪古い狛犬ほど謎も深まり面白い情報が得られそうで色々見応えのある世界かも。
宗派を超えて国境を越えてあっけらかんとそこに居る。そしてそれを大切に見守る地域の方々がいる!!敬意を込めて、人々が石に何を刻みたかったのか?楽しみながらやんわりユルリと少しだけそこに思いを馳せてみませんか?古代オリエント時代にはライオンは農業の神さまの使いでもあったとか。星と大地、水と自然、農と文化、時空を超えて全て見てきたであろう「狛犬」に思いを寄せてみよう、今一度♪そしてまだまだ他にも、お地蔵さん、石仏、河童像、獅子以外の動物色々(お稲荷さんの狐、鳥、牛馬等々)や、ほこら・灯篭・宝篋印塔他、石文化が盛んなこの大分県は色々多彩!面白い!!これ可愛い♡などと自由に楽しんでみませんか?!

【出口老松天満社】 天瀬町出口字中村

【竹田若宮神社】 若宮町3-78
○造立年:昭和27年(1952年)1月

【志賀神社】 夜明中町
○造立年:明治11年(1878年)

【鯛生山神社】
中津江村合瀬(鯛生金山の上)

●参考 お稲荷さんは「キツネ」
【萩尾稲荷神社】 二串 君迫町

全国的にも案外珍しいゾ!
「かっぱ狛犬」

【老松天満社(大山)】 大山町西大山897
○造立年:文政10年(1827年)8月

かっぱ狛犬との関係やいかに!?
●ネパール最古の王朝リッチャヴィ朝(四〜九世紀末)のものが今も残るカトマンズ盆地の寺院には鳥のくちばしを持った獅子像がある。

(解説内容は荒俣宏著「獅子」王権と魔除けのシンボルより引用)

【柚木(ゆうぎ)老松天満社】日田市前津江町柚木○造立年:文化三年(1806年)

ネットで検索すると数箇所しか発見する事ができない「かっぱ狛犬」。
河童で有名な場所や自然豊かな場所にはまだまだあるかもしれませんね。
全国の神社へ行く機会があれば、ぜひ、かっぱ狛犬を探してみてください。
日田市内にも他に知っている方がおられましたらヒタスタイルまでぜひ一報を!

余談ですが…①ラオスの獅子舞
『ラオスの古都ルアンプラバンの旧正月、「新年の行列」でのこと。旧正月をピーマイ・ラオ(新暦4月中旬)と彼らは呼ぶ。獅子の口をカチカチさせることと、毛を振りみだして踊る行為によって悪霊が祓われると、集まっている人たちは信じこんでいる。この期間中には放鳥放魚(御利益を得るために檻などに入った鳥や魚を放すこと)をしたり、川砂で仏塔を作ったり、仏像へ灌頂(かんじょう)したりするが、そんな行事に欠かせないのがこの獅子舞と、そして「水かけ」だ。町の守護神プー・二ュ(男性祖先)とニャー・二ュ(女性祖先)が先頭を行く「新年の行列」は、古都の目抜通りを二日ほどかけてゆっくりと往来するのだが、一行とともに獅子が町を清めるかのように舞い歩く。その行列に向かって、さらに清めの意味をこめて、沿道の人々が供物用の器から水をかける。』
荒俣宏著「獅子」王権と魔除けのシンボル、巻末の写真家大村次郷氏「撮影日誌」より

余談ですが…②哲平さんの狛犬「阿吽」
古代オリエントの文化に魅かれていた郷土画家の宇治山哲平さん。幼少期に描かれたライオンの絵が数枚、県立美術館に収蔵されています。哲平さんは、1964年には中東(イラン、シリア、エジプト)を旅して「オリエント素描集」を出版。その中には当然ライオンのレリーフのスケッチ等あります。そんな哲平さんはきっと、自ずと日本の「狛犬」の存在にも注目していたのでは?と妄想して調べていたら発見!1984年に「阿吽」(あうん)という狛犬をモチーフにした作品が発表されていました。その哲平色全開の二連の作品は、単なる神社の狛犬というよりも、狛犬の背後にある壮大なスケールの時間と出来事、そして当の本人(狛犬)はあっけらかんとしてそこに居るかのような姿までもが表現されている気がしてなりません。オーパム(大分県立美術館)の収蔵品検索で「阿吽」(あうん)で検索すれば見られますので可能な方は是非ご覧ください。

<参考・引用>豊後森藩資料館・わらべの館(玖珠町・久留島武彦記念館横の郷土資料館) 清田コレクション所蔵○「狛犬1、2」  淡窓図書館所蔵○荒俣宏著「獅子」王権と魔除けのシンボル ○一番よくわかる 神社と神々○ 図解 眠れなくなるほど面白い 神社の話

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