
○ 元 はなよし生花店 代表 白石 千恵子
○ 栄養士 梶原 償子
○ 寳屋 前女将 佐々木キミ子
日田駅前商店街の歴史をよく知る食堂「寶屋」の大女将・佐々木キミ子さん。昨年創業62年の歴史に幕を閉じた「はなよし生花店」を支え続け、今もなお(フレシード日田店で)現役で働く白石千恵子さん。栄養士として市民活動を続け、日田市消費者団体連絡協議会の代表そして日田市赤十字奉仕団委員長として、商店街で奮闘する二人を消費者として支えてきた梶原償子さん。三人は小学二年生で終戦を迎え、戦後の日田をよく知る、日田高校の同級生。結婚、子育て、そして一生懸命働いてきたからこそ、今こうやって笑って過去を振り返ることができる。時代と共に日田の街が大きく変わっていくのを目の当たりにしてきた元祖日田のバリキャリ女子のパワフル88歳米寿対談。どうぞお楽しみください。
梶原償子「私たちは日田高の同級生なんですよ。私とちーちゃん(白石さん)は同じクラス。キミちゃん(佐々木さん)は隣のクラスだったの。」
佐々木キミ子「亡くなった私の主人も日田高の同級生なんですよ。私がソフト部で主人が野球部。」
白石千恵子「学生恋愛だったのよ!熱烈よ!私なんかいっつも手で顔を覆って指の隙間から見よったよ(笑)。」
佐々木「主人は明治大学の野球部から社会人野球に入ったので、卒業してすぐに結婚して私も東京に行ったんですけど、三年もしないうちに主人の父が亡くなってしまい、長男だった主人と娘を連れて日田に戻り、親が駅前で営んでいた小さな飲食店(最初はうどん屋だったそう)を継ぐことになりました。」
白石「私は花屋に嫁ぎ、三年後に主人と実家の花屋から独立したんですが、お金がなかったこともあり、現在のバスターミナルの近くにあった私の父が所有する空き家を借りていました。」
佐々木「だから私たちは同じ駅前商店街だったの。」
梶原「当時の日田駅にはまだ材木を運ぶ貨車が通っていたので、駅前には木協(木材協同組合)があったし、しいたけの卸し屋なんかもあったね。」
白石「まだ馬車が走ってたもんね!」
佐々木「大変だったのは昭和40年代後半、私たちがまだ40歳になる前、日田駅前区画整理事業が始まって、駅前通りとことぶき通りが出来たんですよ。その時に今の寶屋を建てたんですが、高度化資金を借りるためにどれだけ県や国の人たちとやり取りをしたことか。商店街づくりも一からだったし。」
白石「それが本当に大変だったのよ。当時主人は病気を患っていて、私自身は日田信用金庫さんに本当にお世話になったのを覚えています。」
佐々木「みんな大変だったの。区画整理も駅前から三隈川が見える街づくりをするという話だったのですがそれは叶わず…。区画整理後も駅前には何もないからということで、うちの主人と仲の良かった隈町の後藤稔夫さんが日田祇園祭の頃に山鉾を駅前に持って来て盛り上げてくれたんです。それが日田祗園山鉾集団顔見世に繋がっていきました。私たち駅前の女将さん会でおにぎり1800個を準備したり(現在も集団顔見世時のおにぎり作りは継続中)、当時駅前にあったマルショクさんやユニードさんが飲み物を差し入れしてくれて、みんなで盛り上がっていました。」
梶原「夫婦で小さなお店から始め、大変な区画整理事業を経て、お店を大きくして、私は同級生だけど、いち消費者としてずっと二人を応援してるんです。」
佐々木「最初のイオンの進出計画の時には商店街関係者と一緒に償子ちゃんたち消費者団体と合わせて1000人ほどで反対運動もしたよね。」
梶原「一緒にプラカードを持ってね。私も当時は生活学校の活動をしながら消費者団体の代表をしてましたから。」
白石「私は主人が46歳で倒れてしまい、仕事は私が切り盛りしていました。朝4時から男性に混ざって競りもしていたので、いつの間にかこんなに強くなっちゃって(笑)。」
梶原「そうよ!高校時代はもっと大人しかったもんね(笑)。」
白石「子ども達とも一緒に過ごす時間がとれず、いつも食卓の上に一筆メッセージを書いて出かけていました。『昨日より今日、今日より明日』といった人生の教訓を。栄養失調で倒れて入院したこともあります。その時も自分を鼓舞するために自分なりの句を綴り続けました。こうやって前向きに頑張ってこられたのは、亡くなった主人の言葉『大きな夢をもって前進しようじゃないか』があったから。今もそれを大切にしています。」
梶原「私たちは戦争を経験しています。水をかけたお布団にくるまって、火の粉が舞う田んぼの畦道を逃げたこともあります。それでも前向きに時代の変化と共に生きてきたんです。」
佐々木「ずっとお店に立ってきて思うのは、お客さんとの繋がりの大切さ。沢山の方が寶屋を支えてくださいました。そして20年前に3代目を継いでくれた息子夫婦にも感謝しています。あとは自分たちが健康で暮らしていけることが何よりも大切よね。」
白石「お店(はなよし生花店)は閉じたけれど、運営が変わった今もお店に立たせてもらい、お客さんも変わらず来てくれています。ありがたいですし、人との出会いは本当に大切です。」
梶原「90歳近くになっても、私たちは楽しく暮らしてる。自分自身でいろんなことを判断し、行動できる自由さもある。何より未だに現役で色んな活動を続けている。生きている限りは誰かのためになりたい。日々そう思うんです。」
Vol.96 UNDER THE SAME SKY
Photo by Yuji Nakamura
Text by Yu Anai


