

「なぁ俺のアイディアどう思う?」
その顔はどこか照れくさそうで、それでも自信が見え隠れしている。
お酒を飲んでる時、こんな議論が最高のつまみになる。
はたしてその発想は正しいのか?
みんなの共感を得られる企画なのか?
どこから着想を得たのか?
そんな答えの無い話をしながら、ふけていった夜が何度もあったように思う。
その後、世に羽ばたいた企画もあれば、失敗に終わった企画もある。どちらの企画にも僕は命を感じていた。
さて、本題だけれど、最近、堂々と自分のアイディアを発表する人を見かけることが増えた。
その意見は、綺麗で整っていて、非の打ちどころがない。ただ、どこか説得力が無くて共感することが難しい。おそらく“A Iと相談をして、A Iが考えた企画なんだろうなぁ”と思うことが増えた。これからの時代、A Iは誰もが体得し使いこなしていく必要がある。
世界中の様々な仕事がA Iに奪われていく時代が、もうすぐそこまで迫っている。
そんなことは100も承知で、今がA I黎明期でみんなの使いこなす力に差があることも分かってる。ただ、人間の営みの中でしか生まれない課題感やアイディアの領域が必ず存在する。嬉しい。悲しい。悔しい。大好き。美味しい。笑う。泣く。そんな人の想いの先にしか生まれないものを僕は信じたい。
加速度的に便利な時代になっていく今だからこそ、五感を研ぎ澄ませて、目の前の相手の想いに気持ちを馳せよう。感情のプロセスを辿ったアイディアこそが社会を動かすんだと思う。
良いアイディアとは一体なんなのか?
今一度考え直してみたい。


